ゴルゴ14
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裁定取引
竹下との戦いに敗れたのは、自分が支えてきた羽田連立政権の下での解散・
総選挙の断行を避けたためである。政権を自民・社会・さきがけに奪われた瞬
間に、事実上、勝負がついた。羽田が解散.総選挙を強く望んだのに対して、
小沢幹事長が反対した。
 もっとも、小沢と竹下との不仲は、元はといえば、竹下派「経世会」の継承
と総理大臣就任の順番をめぐっての派閥内の争いと「裁定取引」についての小
沢と竹下との意見の違いが、根本的な原因であった。
 そのしこりさえ取り払えれば、何ということはない。元の鞘に収まることは
できる。小沢は、すでに平成六年夏ごろ、民放テレビでキャスターの質問に対して、
「向こうはどうかわからないが、こちらは、何のわだかまりも持っていない」
 と答えていた。どの程度本心からの言葉かどうかは定かではなかったけれど
も、「個人的な」わだかまりが政界再編成へと激動した政争の原因であつたと
すれば、たわいもないことにより、政界ばかりでなく日本全体が混乱に陥れら
れていたことになる。
 
 小沢と竹下の対立は、表向き、竹下派「経世会」の継承と総理大臣就任の順
番をめぐっての派閥内の争いが、根本的な原因だといわれてきた。
 しかし、小沢の側近筋の解説によれば、もっと奥深く根深い原因があったという。
 小沢が竹下と喧嘩して訣別せざるを得なかった根本原因は一体、何だったのだろうか。
 株式市場での裁定取引を国際金融資本に許した竹下を「許せない」と怒った
小沢は、竹下と訣別した。だが、情報筋によると、「問題が問題だけに表立っ
て喧嘩はできなかった」という。
 その結果、小沢は、自民党を離党することになり、いまの政治状況ができ上がった。
 自民党を離党して現在、新進党にいる国会議員のほとんどは、この経緯を知
らない。情報筋によると、「知つているのは、山口敏夫と中西啓介くらいだ」という。
 ならば、自民党が分裂した根本原因となったキーワード「裁定取引」とは何か。
「裁定取引とは、現物価格と先物価格の一時的な歪を利用して利益を得ようと
する取り引きで、リスクがほとんどなくほぼ狙った通りの利回りが得られる手
法である。先物と現物の価格を比較して、現物に比べ先物が割高であれば現物
を買い、先物を売る。逆に、先物が割安であれば、現物を売り、先物を買う。
そして満期で現物を反対売買することによって利益を確定するという極めて単
純な商行為である」
 要するに、裁定取引とは、いま流行りのデリバティブ(金融派生商品)の一
種である。具体的には、まず、
 ①TOPIX (東証株価指数) または日経平均二百二十五種に連動するポ
  ートフォリオを作る。
 ②先物が理論価格を上回ったところで現物買い、先物売りを行う。
 ③両ポジションを先物の満期まで保有し、売買最終日の翌日の寄り付きで
  現物を売却する (SQ決裁)。
 先物は自動的にSQ値で清算されるので、場では買い戻さない。このように
して、現物・先物間のスプレッド(ベーシスと呼ぶ)分のサヤが取れるわけである。
 NASAの宇宙科学者たちが、ウォール街に流れてきて、開発したといわれている。
 宇宙産業もアポロ計画が斜陽になって、米ソの冷戦も融けた。宇宙開発の研
究者たちは、当然、仕事がなくなった。NASAで宇宙規模で放物線の表をデ
ザインしたりしていた人たちが、ウォール街に来て、デリバティブのとくにオ
プションの世界にどんどん入ってきた。それが、いま世界的にデリバティブと
いわれるものの元になっている。コンピュータを使って、いろいろなミスプラ
イスを取りに行ったりしている。
 さきがけて裁定取引をしたソロモン.ブラザーズなど外資系証券会社は、相
当な利益を上げた。しかも、このソロモン・ブラザーズは、かねてより竹下の
機関店といわれてきた証券会社である。
 裁定取引に関しても、日系の証券会社とは比べものにならないくらいのノウ
ハウを持っていたので、ものすごい利益を得たといわれ、年利に直したら、三
〇%とかいう異常な利益が出ていたという。それは、何十兆円にものぼるのである。
 竹下内閣時代の昭和六十三年九月三日、日経平均先物、TOPIX先物取引が開始された。
 この年は、証券会社では、実際の株価のピークの年と見ている。これは、先
物取引の開始と大きく関連がある。その後、平成元年十二月二十九日の日経平
均株価三八九一五円まで上昇するわけだが、外資系証券会社による裁定取引
(先物売り・現物買い) によって、どんどん上昇したのであって、実際の個別
銘柄は、上がっていない。結局、マイナス要素を含んだ株価の上昇であった。
 平成元年十二月二十九日をピークに、株価は、平成二年の年明けから、暴落
しはじめる。っまり、それまでの裁定取引でのマスナス要素が、一気に噴出したのである。
 竹下内閣は、竹下首相がリクルート事件に関連した責任を取り退陣し、平成
元年六月二日、宇野内閣に交代している。
 裁定取引でのマスナス要素が、一気に噴出したことをっかんでいたのは、外
資系証券会社だけだったのであろうか。外資系証券会社は、またしても、裁定
取引(今度は、逆の先物買い・現物売り) によって、儲けはじめた。
 その後、株価は、一時反発もするが、十月一日には、二〇二三一円まで下が
る。すでに宇野首相の女性スキャンダルで宇野内閣が崩壊し、海部内閣に代わ
つていた。大蔵大臣は竹下が信頼を寄せている橋本龍太郎だった。

 裁定取引という名の海外援助
 
 昭和六十三年九月三日に先物取引が開始されてから、この平成二年の湾岸戦
争が勃発するあたりまで、外資系証券会社の裁定取引によって、何十兆円もの
カネは、確かに日本の外へ流れていった。
 しかも、裁定取引は、一億円以下であれば手数料は、わずか〇・〇八%に過
ぎない。また当時はなぜか、証券会社は、裁定残高についての記録を取つてい
なかった。大蔵省からの通達で、平成二年八月から記録を取るようになったというのである。
 しかも大蔵省には、当時、金融検査部という部署はなかった。平成四年七月
宮沢内閣の羽田(旧田中派-I竹下派=小渕派)蔵相のときに、この部署が設けられた。
 さらに、重要なことがある。裁定取引の制限に関しては、日本より先に先物
市場が開かれているアメリカやシンガポールでは「サーキットブレーカー」と
いう制限が使われている。ニューヨークでは、五〇ドル以上の動きがあつたと
き、ストップがかかる。
 しかし、このサーキットブレーカーが、日本の株式市場に導入されたのは、
平成六年二月十四日である。ときの内閣は、細川連立内閣だった。小沢が、新
生党の代表幹事として、細川内閣を「党」の側からコントロールしていた。
 っまり、サーキットブレーカーは、裁定取引が始まってから、約五年を経て、
やっと導入されたということである。
 大阪証券取引所は、翌日の二月十五日、早速これを発動している。東京証券
取引所では、発動前の予告は何度もかけられているが、実際に発動されたのは、
これまでに三回だけである。
 ともかく、五年間は、裁定取引の市場は野放し状態だったといえる。アメリ
カやシンガポールでは制限があるのに、日本では制限がなかった。外資系証券
会社にとっては、これほど美味しい市場があったであろうか。
 外資系証券会社による裁定取引を通じて、日本からカネがアメリカに流れて
いくことが最初から仕組まれていたことであったとすれば、日本政府の責任は、
重大である。それがアメリカに対するいわば、形を変えての海外援助ということだろうか。
 小沢に近い情報筋によれば、
「イ・アイ・イの高橋治則社長と二つの信用組合をめぐる問題では、自民党と
新進党にカネが流れていた。山口敏夫と中西啓介の二人の名前が上がり、小沢
もこの間題に頭を痛めていたが、竹下も深くからんでいたので、利害が一致していた」という。
 つまり、小沢と竹下とは、ともにこの問題を国民の目から隠蔽しなければな
らない立場にあつたというのだ。二人の和解はこのあたりの共通利害から成立
したともいえるのである。
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