ゴルゴ14
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アメリカの歴史
フランスは1777年12月、アメリカの独立を認め、翌78年2月には米仏軍事同盟を結んだ。アメリカはそれ以前からフランスに武器、軍需品を求めていた。「フィガロの結婚」や「セヴィリアの理髪師」を書いて有名な劇作家ボーマルシェはヴァージニアのアーサー=リーと軍需品会社を作って武器をアメリカに供給した。
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カリフォルニアの総督メーンンも六月中旬にはコロマを視察し、毎日三万~五万ドルに及ぶ金が産出されるとワシントンに報告している。付近でもあちこちで金が発見され、各種の報告が連邦政府に送られた。大統領ポークは、十二月の議会に対する教書の中で、メーソンの驚くべき報告にふれて金の発見をのべた。これが全国の新聞に発表された結果、四九年の一月十八日までに六一隻の船が平均五〇大の乗客をのせて大西洋岸北東部の措から出港した。南部のチャールストンやニュ-オーリンズからもかなりの船が出ている。これらの船客は南米の南端を回るか、中米の地峡を歩いて太
平洋岸に出てそこからサンフランシスコまで別の船に乗るかした。ヨーロッパ諸国からも多くの人がこのニュースをきいてカリフォルニアに集まった。ロンドンには一二五万ポンドの資本で五
つのカリフォルニア通商・鉱山会社がつくられ、ヨーロッパ各地カリフォルニア行きの船客を運んだ。アジア人の中では中国人がもっとも多く、当時の新聞四九年二月一日の中国人の数を五四人、同年末には七九一人、五〇年末には四〇〇〇人以上としている。日本人は鎖国の中で知るよしもなかった。
 アメリカ大陸を横断したり、メキシコから移動してくる人がもっとも多かったが、陸路は旅費は安いが、各種の危険がともない、途中で生命をおとすものも少なくなかった。とにかく四九年に、八万以上の人が金を目指して集まってきた。
一八五〇年の国勢調査は、インディアンを除いてカリフォルニアの人口を九万二五九七人としているが、これにはサンフランシスコほか二郡の報告が事故のためはいっていないので、一〇万
以上になっていることは明らかである。ゴールドラッシュで、四九年にカリフォルニアに来た人たちを「四九年度の人たち」とよんでいる。
 砂金はつるはしとシャベルと鉄鍋さえあれば、いわゆる「椀かけ法」という方法で素人でも採集できた。もちろん極微細な粉末は流してしまうこともあるが、砂金といっても形や大きさはさ
まざまで、稀にはかなり大きな金塊さえ発見することもあつた。
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