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英国の諜報機関

秘密情報庁
 
Secret Intelligence Service (SIS)
Military Intelligence - 6 (MI-6)


 対外諜報に従事する英国の主要諜報機関である。王立機関として、英諜報部は、既に大英帝国の形成期間に形成が開始された。その創設は、何よりも、欧州の最も重要な貿易かつ海洋大国の国家植民地対外政策の需要によりもたらされた。1909年3月、英国首相は、ドイツ諜報部からもたらされる脅威に特別の注意を払って、国家特務機関を再編することを帝国国防委員会に勧告した。首相の勧告に基づき、帝国国防委員会外国部附属秘密勤務局創設に関する通達が準備され、その設立日は、10月1日となった。
 1909年、新官庁の直接の創設者は、ベルノン・ケル大尉と伝説的な片足のマンスフィールド・カミング海軍大尉だった。後者は、秘密勤務局外国課長にもなった。こうして、当時、近代的な西側諜報機関の発祥の地と呼ばれた。カミングに敬意を表して、続く英諜報部の全長官は、書簡及び会議において、「С」(Cummingの頭文字から)と略して呼ばれ始めた。
 庁は、長官が指揮し、現在、リチャード・ディアラフが長官である。現SIS長官リチャード・ビリング・ディアラフは、1945年1月23日に生まれ、ケンブリッジ大学卒業後、アフリカ(ケニア)、欧州及び米国(駐ワシントンCIA附属連絡幹部)、並びに作戦局長のポストにおいて、33年間、諜報に従事した。
 カバーのために、SISは、外務省の機構に編入された。SISは、国外に87支局、ロンドンのヴォックスホール・ブリッジ-ロードに本部庁舎を有する。 SISは、同時に常任の外務次官である長官が指揮する。このようにして、形式上、SISは、英外務省の監督下にあるが、これと並行して、首相への直接の出口を有し、しばしば、その指示により又は独自に活動している。
 SISの機構には、5局が存在する。その中には、以下のものが含まれる。
 行政人事局は、行政管理問題、並びに要員の選抜及び配置問題に従事している。任務付与・情報製品準備局は、外務省及び国防省から任務を受領し、入手した諜報情報を処理及び分析し、外向けの諜報文書を準備及び販売する。地域監督局は、いくつかの地域・地理作戦課から成る。対外防諜・保安局は、外国国家特務機関の工作を実施し、英諜報部の業務の安全を保障する。特殊情報局は、作戦業務実施の近代的な作戦技術手段を諜報部署に補給する。
 その外、国際関係問題顧問部会、米国その他国の特務機関との連絡部会が存在する。
 SISは、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの諜報部と密接な関係を有している。これらは、インテリジェンス・サービスの援助の下で創設され、その多くの職員は、英国で訓練を受けた。人員数は、国家秘密である。

■人事

 全歴史に渡って、英諜報部での業務は、権威あるものと考えられ、貴族と創造的なインテリ出身者を惹き付けた。通常、諜報要員は、外務省、軍、SAS空挺兵、警察の要員、並びに大学卒業生(主として、ケンブリッジ及びオックスフォード)から募集されている。SIS正職員は、「法律と人権を優雅に侵害する紳士」と、既に世紀初頭に諜報に従事していた伝説的なトマス・ローレンス又はシドニー・レイリーの精神の冒険家から成るものと考えられている。これは、「独立した作戦要員」という希なカテゴリーに属するプロだった。90年代初め、この秘密に侵入できたジャーナリストは、約3千人の数字を挙げ、その内、ほぼ 1,200人が中央で働いている。1994年3月、諜報部の定員には、2,303人の職員が存在した。
 SIS本部庁舎は、ロンドンの最中心部、ランベト地区、ヴォックスホール・ブリッジ(Vauxhall Cross)の側に位置し、正面には、「環境庁」の看板がある。これは、多段式ピラミッドに似た20階建ての施設で、一般名称は、「センチュリー・ハウス」である。以前、英諜報部の本部庁舎は、地下鉄の「セント・ジェイムス・パーク」駅側のブロードウェイ-ビルディングスに位置した。

■SIS長官(1909~1999年)

期間 氏名
1909~1923年 マンスフィースド・カミング
1923~1939年 ヒュー・シンクラー
1939~1952年 スチュアート・メンジス
1953~1956年 ジョン・シンクラー
1956~1968年 ディック・ホワイト
1968~1973年 ジョン・レニー
1973~1978年 モリス・オルドフィルド
1979~1982年 アーサー・フランクス
1982~1985年 コリン・フィガース
1985~1989年 クリヅトファー・ケラー
1989~1994年 コリン・マッコール
1994~1999年 デビッド・スペディング
1999~ リチャード・ディアラフ

 1994年現在、年間予算は、約1億5千万ポンド・スターリングに達した。MI-6長官は、麻薬の非合法生産及び拡散対策における有償サービスの拒否に関して、一連の東南アジア諸国政府と合意に達した。1995年、諜報部の予算は、1千万ポンド・スターリング削減された。1997/98会計年度、MI- 6の予算は、公式には、1億4千万ポンド・スターリング水準に留まり続けた。

■法的基盤

 事実上、90年代中盤まで、英諜報部は、国家的地位を有さず、事実上、議会の無監督下で活動していた。MI-6の会計は、外務省を通して実施されている。
 情報機関法は、1994年に英国議会により採択された。ここで初めて、「英国国外における外国人の活動及び意図に関する情報の獲得及び配布、並びに国家安全保障のための特殊作戦の実施」と、諜報活動の定義が与えられた。
 この文書は、英国の国家安全と経済繁栄の擁護、並びに重大な刑事事件の予防及び摘発に向けられる場合、独自の作戦を実施する特務機関のそれでなくても事実上存在した権限を承認した。その外、法律は、英国自体では犯罪と評価される場合ですら、その機能の遂行のために国外で実行される行動に対して、特務機関職員の責任を免除した。その管轄下に特務機関が存在する相には、私生活への干渉、盗聴並びに住居及び業務用の建物への非公然侵入と関連した作戦を自己裁量で許可する権限が賦与された。
 情報機関法により、議会情報・安全保障委員会の設置が規定された。当機関には、予算資金の特務機関による支出、国家の国内外の安全の保障に関する主要任務の遂行領域における統制及び政策に対する監督を実施する権利が賦与された。
 委員会の構成員は、与野党の議員9人から編成される。この際、委員会委員は、議員により互選されることはなく、首相により任命される。この機関の業務は、主として政府合同情報委員会の定員から成る内閣官房職員が保障しなければならない。週間会議は、首相官房の特別に割り当てられた部屋で行われる。
 法律には、委員会の権限及び解決すべき問題層に関する明確な指示が含まれなかった。年次報告書、並びに自己裁量でその他の報告書を議会ではなく、首相に提出する義務を有することだけが指摘された。
 法律により、その業務に必要な情報の委員会への提供に係わる3つの規定が規定された。これらの規定に従い、国家特務機関指導者は、「相により承認された合意に従い」必要な情報を提供し、相の権限に基づきその提供を拒否し(この際、国家安全の基準により指導されなければならない。)、照会された情報がその秘密性及び特別な重要性のために公開できないことを委員会に通知することができる。この際、特別重要秘密情報に分類されるのは、情報源及び作戦方法を暴露し得るか又は具体的な作戦(過去、現在又は未来)に係わるような内容を含むか若しくはその公開を望まない第三国に提供された情報である。
 しかしながら、実践において、この委員会は、英国情報共同体の組織における業務状態に深くに侵入し、関連問題に関して特務機関指導者を聴取するいかなる権限も獲得しなかった。委員会の第1回会議において、首相は、その委員が特務機関の作戦活動を何らかの方法で統制することを試みない希望を表明した。このようにして、事実上、委員会は、英国首相附属の諮問機関に変わった。

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