ゴルゴ14
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シークレット・ガバメント  飛鳥昭夫 著

シークレット・ガバメント(影の政府)

1961年1月、一国の大統領が歴史に残る演説を行った。それはアメリカ合衆国という国家の暗部を、白日のもとにさらした最初で最後の言説だった。
元首の名はドワイト・D・アイゼンハワー。第二次世界大戦におけるヨーロッパ方面連合国最高司令官にして、かのノルマンディー上陸作戦を指揮した軍人。占領下ドイツのアメリカ軍司令官を歴任したあと、アメリカ陸軍参謀総長にまで上り詰めた男である。
第二次世界大戦後は共和党から出馬し、1953年、第34代アメリカ大統領に就任した。
自ら大統領の座を下りることを決意した日、テレビ放送を通じて、アイゼンハワーは所信表明とともに、アメリカ合衆国の全国民に向け、自らが行った政策に関して赤裸々な告白をした。
「我々(政府と軍部)は、アメリカ合衆国の巨大な軍事機構と軍需産業の合体を、アメリカ合衆国史上、初めて試みることになりました。軍産複合体を公認した結果、その影響は、経済、政治、精神に至るあらゆる分野はもちろん、市政、州議会、官公庁にまで及ぶでしょう。しかし、軍産複合体に内在している野心的な巨大成長の可能性に対して、国民は十分な注意と監視をせねばなりません。なぜなら、軍部と軍需産業の一体化は、必ず恐ろしい結果を産む危険性をはらんでいるからです。この巨大な複合組織に、アメリカの自由の基を危うくさせてはなりません。」

はたして、この言葉の真意を、どれだけの人間が理解しただろうか。一国の大統領が自ら公認し、作りだした組織を、一転して批判するとともに、国民に向かって、危険であると警告しているのである。これほど矛盾した演説はあるまい。
しかし、矛盾しているからこそ、それは真実なのである。
組織の人間、政治家ともなれば、悪に手を染めることもあろう。ましてや、一国の元首ともなれば、そんな縦横の糸にがんじがらめになる。アイゼンハワーもまた、例外ではなかった。
だが、すべてのしがらみを捨てるとき、人は正直になるものである。大統領という職を辞するに当たって、それまで言えなかったことを吐露した。ひとりの人間として、アイゼンハワーはアメリカ国民に語ったのである。

軍産複合体。

もし、この世に怪物(モンスター)がいるとすれば、おそらく軍産複合体をおいて、ほかにないだろう。悲しいかな。人間の業の結果、生みだされた軍産複合体。この組織こそ、世界最高権力である。軍産複合体はアメリカ合衆国を支配している。
国を動かすのは、政治家である。法律や政策を決めるのは、政治家である。国民によって選ばれた政治家は、そのためにある。いいか悪いかは別にして、それは民主主義国家の常識である。アメリカ合衆国も、しかり。というより、地球上における民主主義の旗手、それがアメリカ合衆国政府である。他国の手本となり、世界へ民主主義を広めることが、何よりアメリカ合衆国の使命なのだ。
しかし、その反面、民主主義の悪い面もある。衆愚政治になる。金権政治になる。贈収賄といった、腐敗が進む。暴力団やヤクザ、マフィアとの関係もできる。厳密に言えば、理想的な民主主義などはない。それは、だれもがわかっている。あえていうまでもないが、日本の現状を見れば明らかだ。
だが、それ以上に、民主主義には根本的な弱点がある。選挙で選ばれたとしても、任期というものがある。任期とは、さまざまな団体や個人との利害関係が深くならないために、自浄作用として考案されたシステムである。これによって、国民を無視したり、汚職をした政治家は落選し、その政治生命を絶たれる。
確かに、それは不完全な人間が考えうる最善のシステムだろう。が、逆にいえば、いくら傑出した政治家がいたとしても、何かをできるのは、わずかな任期中だけなのだ。
任期は4年。2期務めたとしても8年が最高である。長い目で見れば、現れては消える存在でしかない。彼らはしょせん、任期中の存在でしかないのだ。

アイゼンハワーは、いったい何をいおうとしたのか。

すべては逆説である。国家元首が無力なら、実力を持った存在がほかにいる。アメリカ大統領に実質的な力がないなら、それを持った組織がほかにある。選挙で選ばれる大統領に限界があるなら、選挙で選ばれない権力がある。
アイゼンハワーは知ったのである。いったいだれが、アメリカ合衆国という国家を動かしているのか。いったい何者が、最高権力を握っているのか。すべてを知った。だからこそ、国民に警告したのである。
軍産複合体を支配する者こそ、アメリカを支配する者である。彼らは選挙で選ばれることはない。もちろん、任期はない。議会という多数決システムを通す必要もない。国防の大儀と軍需産業を背景に、彼らは想像を絶する力を持っている。

1989年、ヨーロッパの社会主義国家が次々と瓦解した。ルーマニア、ポーランド、東ドイツ、ユーゴスラビア、チェコスロバキア、ハンガリー……と、あたかも雪崩を打ったように、国家体制を変えていった。
極めつけは、社会主義の牙城、ソビエト連邦の崩壊である。これによって、戦後の冷戦構造は、完全に終焉したといっていい。
その原動力は何か。資本主義か。いや、ひとえに経済である。経済というシステムの前に社会主義国家は瓦解した。それは資本主義国家といえども、無傷ではいられない。日本のバブル崩壊や東南アジアの通貨危機を見ればいい。株価の上下が国家の命運を左右している。金融という数字のマジックが世界を動かしているのだ。

だが、そうしたなかにあって、もっとも高価な商品とは何だろう。考えたことがあるだろうか。人の命は地球よりも重い。よく聞く言葉だ。が、重いというだけで、地球の値段よりも高いといった人間はひとりもいない。辛辣な言葉であるが、経済にヒューマニズムが入る余地はない。すべては経済的な価値で計られる。
現実の社会で、もっとも高価な値段で取り引きされている商品は「軍事兵器」である。
ステルス戦闘機F-22スーパースター1機が90億円。シーウルフ級原子力潜水艦1隻が約4200億円。トマホークミサイル1発が約2300万円(推定)……。
世界の経済を支えているのは軍需産業である。それは厳然たる事実だ。軍事兵器こそ、経済の基本なのだ。
が、誤解してはいけない。軍需産業だからといって、別にミサイルや戦闘機だけを造っているわけではない。ミサイルを造るためには、火薬が必要だ。火薬は化学薬品である。また、ミサイル本体は鉄鋼業だ。弾道を計算するためには、電子機器はもちろん、コンピューターが必要である。いわばメーカーと呼ばれる企業は、多かれ少なかれ軍需産業に関わっている。驚くことに、兵士に配給される清涼飲料水でさえ、それは軍需産業の一部なのである。
なんてひどいことだというのは勝手だ。が、日本の企業も、しっかりと軍需産業の一端を担っている。かの三菱は戦闘機から戦車、そしてミサイルまで技術協力しているほか、電子機器という意味では、ソニー、松下電器が少なからず関わっている。
これが現実なのだ。きれいごとではすまない。しょせん、世界を動かしているのは、軍需産業なのだ。不況になろうと戦争になろうと、軍需産業は潤う。軍需産業が何かを本当に知っている人間にとって、いちばん怖いのは平和である。平和になれば、兵器は必要ない。これがいちばん怖い。
人は彼らを「死の商人」という。まさしくそのとおりである。人を殺す、街を破壊するための兵器を造る。それを売る。兵器が戦争で使われる。それによって軍需産業は潤うのだ。結果として、それが経済に反映し、好景気を生む。
非難するのは簡単である。平和という、だれも反対できないプラカードを手にして、声を高らかにすれば、あなたはすぐにでも正義の味方になれる。
だが、問題の根本的な解決にはならない。なぜなら、それは構造だからである。構造は個人の意思とは無関係だ。構造によって生みだされた組織は生き物である。それ自体が、あたかも意志があるかのごとくに動く。恐ろしいのは、軍需産業と軍隊を直結させたことにある。ここに、まったく新しい怪物が出現したのである。

軍需産業が生みだす商品は数々ある。が、もっとも高価なのは、やはり兵器である。ならば兵器を買うのは、だれか。兵器を買うのは国家である。国家として他国との戦争を想定して兵器を購入するのである。
これは単純な商売である。人がモノを作り、それを人が買う。単純な商売である。両者の利害は一致している。当たり前である。それが商売だからだ。
しかし、事は兵器である。演習を除けば、兵器を使うのは戦場である。戦争のために兵器はある。戦争が起これば、兵器は消費される。兵器が消費されればされるほど、兵器の需要は高まる。国家(軍部)は再び兵器を購入することになる。つまり、戦争が軍需産業を潤しているのだ。
軍事力が強いということは、国家の力が強いということである。日本が国際的に一目置かれるのも、アメリカの同盟国だからだ。アメリカの軍事力という背景があったからこそ、経済大国になれたのだ。それが現実である。
軍需産業は国家の政策とは無関係である。極端な話、兵器を高く買ってくれるならば、自国の軍部でなくてもいい。同盟国以外の敵国に売ってもかまわない。アメリカの国際戦略とは、まったく独立した商売をすることができる。
だが、こうした事態を国家が見過ごすことは、決してできない。アメリカ合衆国で開発した兵器は、自国の利益に沿って使われるべきである。同盟国へ兵器を売るならまだしも、敵国に売るなどもってのほか。兵器は国家の監視下におくべきである。それが国家の立場というものならば、どうしたらいいか。
答えはひとつしかない。国家が軍需産業を取り込むことだ。国家の政策に沿った形で、兵器を生みださせ、管理する。これ以外に自国の軍需産業を従える方法はない。アイゼンハワー大統領は軍需産業と軍部を直結。両者を一体の組織として作りあげた。これが「軍産複合体」である。

軍需産業は軍部のために兵器を造りだす。軍部は、それを戦争で使う。戦争があればあるほど兵器は消費される。こうして兵器の需要は高まり、軍需産業は兵器を増産する。反対に、戦争が終われば軍需産業は不景気になる。
と、ここまでは従来と同じだが、違うのは、このあとである。もはや軍需産業と軍部は一体である。軍需産業が不景気になることは、軍事力が下がることを意味する。それは国家として本意ではない。軍産複合体が生き残るためには、兵器の需要が何よりも必要である。兵器を必要とする戦争が不可欠なのだ。
ならば、どうするか。いうまでもない。戦争するしかない。戦争だけが、軍産複合体を生かすのだ。個人個人は平和を願っても、組織の意思は違うとは、このことだ。おそらく軍需産業に従事している人々の多くは平和主義者だと思う。が、組織を生かすためには、どうしても数年に一度は戦争が必要なのだ。
だからこそ、軍産複合体はモンスターなのだ。それは、たんに利潤を追求する企業ではない。利潤を国家が生みだす。いや生みださなければならない。兵器の需要を高めるためには、戦争に介入する。辛辣なことをいえば、戦争を起こす。世界のどこかで戦争を起こすことで、軍産複合体は生き長らえるのだ。
こんな屈折した構造において、もっとも懸念すべきは国の主導権である。アメリカ合衆国という国家を動かす者は、本来、大統領だ。大統領以下、国民から選ばれた政治家のはずである。
しかし、しょせん、選挙で選ばれる存在だ。しっかりと国家に食い込んだ軍需産業と軍部の前では、ピエロにすぎない。
軍産複合体を支配する者こそ、アメリカ合衆国の最高権力集団なのだ。


国家を運営するためには、経済力が不可欠である。経済を担うのは企業である。企業の発言は国家の行方を左右する。経済界の実力者が政治的な発言力を持つのは、その意味で当たり前のことである。日本でも、経団連をはじめとして、政治的な影響力を持つ組織が存在する。
一方、アメリカ合衆国の場合、そこに軍産複合体が介在する。軍産複合体の発言は、そのまま国家の存亡に関わる。下手をすれば、戦争を起こすかどうかまで、左右するのは軍産複合体の意思なのである。
アメリカを動かしているのは、秘密結社フリーメーソンをはじめ、イルミナティ、ユダヤ人、王家クラブ・オブ・ジ・アイルズ、ブナイブリス、薔薇十字団、300人委員会……などとよく噂される。確かに、そうした人間の発言力はある。
だが、現実的に力を持っているのは、軍産複合体である。
事態は、もっと現実的だ。商売である。経済なのだ。世の中で、もっとも高価な商品の取り引きを左右できる組織。兵器を意のままにできる軍産複合体こそ、この地球上でもっとも力をもっているのだ。さらにいえば、軍産複合体を支配する者こそ、アメリカという国家を動かすのである。
軍需産業のトップは、みな世界的な大富豪である。一般庶民が想像を絶するほどの富を握っている。彼らが持っている企業はひとつだけではない。幾多の会社を従えている。軍需産業以外の会社も多数ある。それゆえ、だれも軍産複合体の主とは思わない。普通の企業のオーナーとしてしか認識されていない。
しかし、彼らこそ、アメリカの真の支配者であるといっていい。軍産複合体という組織を画策したのも、彼らなのだ。
彼らは、本来は「表の政府」を補佐するのが目的である。いうなれば、アメリカ合衆国の世界戦略を敏速かつ確実に反映する民間企業の組織だった。何度もいうが、彼らは民間人ゆえ、選挙で選ばれることはない。民間の企業として利潤を徹底的に追求するのである。
「裏の政府」の実体は軍需産業を中核にする巨大コンツェルンで、軍事、情報、金融、鉱物、石油、電脳など、各分野を牛耳るトップメジャー集団の財閥組織であるという。彼らは想像を絶するような資金を右から左へと動かすことができる。これが世界を動かし、結果、政治をも動かすのである。

影の政府の原型はアイゼンハワー大統領が就任する前から存在した。彼らは第2次世界大戦を通して強大な力を持った。戦争に勝ったのは、連中のおかげである。軍需産業があってこそのアメリカ合衆国である。そんな風潮も追い風になった。連中はますます力を持ち、その名称も「影の政府(シークレット・ガバメント)」と称するようになる。
『M-ファイル』によれば、シークレット・ガバメントのひとりは、かの大富豪ロックフェラー。ネルソン・A・ロックフェラーである。彼はロックフェラー財閥の莫大な資金から、ロックフェラー財団を設立。社会事業や国際文化事業に乗りだし、共和党議員および副大統領にもなった。
のちに、CFR(外交問題評議会)やTC(日米欧三極委員会)の理事長を務めたデビッド・ロックフェラーが座り、アメリカにおけるロックフェラーの影響力が確立される。と同時に、世界的巨大財閥ロスチャイルド家も参加。いわば世界最強の組織として、シークレット・ガバメントが歩みだすことになる。
ここで、ひとつ注意を喚起したい。陰謀論において、フリーメーソンだイルミナティだ、ユダヤだといった秘密結社のドンとして、必ずロックフェラーとロスチャイルドの名前が登場する。看板は同じだが、役者は変わらない。陰謀論の本質は同じだ。
しかし、それもまた戦略だとしたら、どうだろう。いろいろな組織や団体に所属することによって自らの所業を隠す。メンバーであることをいいことに、批判を団体に向けさせる。フラタニティーを矢面に立たせることで、自分たちの目的を正当化する。フリーメーソンが悪い、ユダヤが悪い、秘密結社が悪いという言葉が先行して、その本質を見失わせる。これが連中の戦略だとしたら、世の陰謀論者は騙されていることになる。
現実はもっとリアルだ。『M-ファイル』にはすべてが記されている。
シークレット・ガバメントの最高幹部は全部で12人。軍需産業のトップはもちろん、軍部の人間も含まれる。これが奥の院である。人間という存在において、これ以上の組織はない。世界最高権力であるといってもいいだろう。ここでの決定がアメリカ大統領を動かす。ひいては、アメリカ合衆国を動かす。

NSA

1952年、シークレット・ガバメントが表の政府の窓口として、ある諜報機関を設置した。
それは、ほかでもない、「NSA(国家安全保障局)」である。
一般の印象からすると、世界最高の諜報機関はCIAかもしれない。が、はっきりいって、CIAとNSAとでは、子供と大人の差がある。よくNSAは暗号解読や盗聴などを行う機関にすぎないという言葉を聞くが、まったくの認識不足である。というより、それは実態をほとんどわかっていない者の発言だ。世に出た情報をもとにして、NSAをわかったつもりになった人間がいるとしたら、まったくのお笑い草でしかな。
CIAはアメリカ大統領直轄の組織である。表向き、大統領の命令によって動いていることになっている。
ところが、同じアメリカ大統領直轄の機関でもNSAは若干の違いがある。正確に言えば、NSAは軍部直轄の機関なのだ。極端なことをいえば、アメリカ大統領よりも軍部の主張を反映する機関なのだ。ここを忘れないでほしい。
アメリカを支配しているのは、大統領ではない。軍産複合体である。軍産複合体に君臨するシークレット・ガバメントである。
NSAが軍部直轄の組織であるということは、シークレット・ガバメント直轄の機関であることを意味す。
表向きの軍の諜報機関というのでさえ、方便にすぎない。NSAは、ずばりシークレット・ガバメントの機関なのだ。
それゆえ、NSAからの情報は、とてつもない意味を持つ。アメリカ大統領は軍を通して情報を得る権限があるが、NSAを通した情報は、そのままシークレット・ガバメントからの情報である。シークレット・ガバメントの意思はもちろん、いわば命令に匹敵する内容も含むのである。
シークレット・ガバメントの存在そのものは合法だが、ロックフェラーやロスチャイルドらの巨大財閥や各メディアのメジャー企業が軍部と強力な癒着関係にあることは、決して知られてはならないことだった。しかも、アメリカ大統領以上の力を持つなど、民主主義の国家にあって、絶対に表沙汰になってはならないのだ。
つまり、現在われわれが見るアメリカ大統領は、みなシークレット・ガバメントの操り人形にほかならない。大統領がアメリカの最高権力者など、体のいい方便にすぎない。ちょっとでも逆らえば、。最近ではスキャンダルである。クリントン大統領の不倫疑惑など、いい例だ。スキャンダル騒動のあとに、彼が取った行動は何か。いうまでもない。ユーゴスラビアのコソボ空爆である。
アメリカ合衆国の歴史を振り返れば、結局、最後は戦争である。平和が長く続いては軍産複合体は生きていけないのだ。どこかで紛争の火種でもあったら、積極的に介入して、問題を大きくする。これがシークレット・ガバメントのやり方なのである。





 
 
裁定取引
竹下との戦いに敗れたのは、自分が支えてきた羽田連立政権の下での解散・
総選挙の断行を避けたためである。政権を自民・社会・さきがけに奪われた瞬
間に、事実上、勝負がついた。羽田が解散.総選挙を強く望んだのに対して、
小沢幹事長が反対した。
 もっとも、小沢と竹下との不仲は、元はといえば、竹下派「経世会」の継承
と総理大臣就任の順番をめぐっての派閥内の争いと「裁定取引」についての小
沢と竹下との意見の違いが、根本的な原因であった。
 そのしこりさえ取り払えれば、何ということはない。元の鞘に収まることは
できる。小沢は、すでに平成六年夏ごろ、民放テレビでキャスターの質問に対して、
「向こうはどうかわからないが、こちらは、何のわだかまりも持っていない」
 と答えていた。どの程度本心からの言葉かどうかは定かではなかったけれど
も、「個人的な」わだかまりが政界再編成へと激動した政争の原因であつたと
すれば、たわいもないことにより、政界ばかりでなく日本全体が混乱に陥れら
れていたことになる。
 
 小沢と竹下の対立は、表向き、竹下派「経世会」の継承と総理大臣就任の順
番をめぐっての派閥内の争いが、根本的な原因だといわれてきた。
 しかし、小沢の側近筋の解説によれば、もっと奥深く根深い原因があったという。
 小沢が竹下と喧嘩して訣別せざるを得なかった根本原因は一体、何だったのだろうか。
 株式市場での裁定取引を国際金融資本に許した竹下を「許せない」と怒った
小沢は、竹下と訣別した。だが、情報筋によると、「問題が問題だけに表立っ
て喧嘩はできなかった」という。
 その結果、小沢は、自民党を離党することになり、いまの政治状況ができ上がった。
 自民党を離党して現在、新進党にいる国会議員のほとんどは、この経緯を知
らない。情報筋によると、「知つているのは、山口敏夫と中西啓介くらいだ」という。
 ならば、自民党が分裂した根本原因となったキーワード「裁定取引」とは何か。
「裁定取引とは、現物価格と先物価格の一時的な歪を利用して利益を得ようと
する取り引きで、リスクがほとんどなくほぼ狙った通りの利回りが得られる手
法である。先物と現物の価格を比較して、現物に比べ先物が割高であれば現物
を買い、先物を売る。逆に、先物が割安であれば、現物を売り、先物を買う。
そして満期で現物を反対売買することによって利益を確定するという極めて単
純な商行為である」
 要するに、裁定取引とは、いま流行りのデリバティブ(金融派生商品)の一
種である。具体的には、まず、
 ①TOPIX (東証株価指数) または日経平均二百二十五種に連動するポ
  ートフォリオを作る。
 ②先物が理論価格を上回ったところで現物買い、先物売りを行う。
 ③両ポジションを先物の満期まで保有し、売買最終日の翌日の寄り付きで
  現物を売却する (SQ決裁)。
 先物は自動的にSQ値で清算されるので、場では買い戻さない。このように
して、現物・先物間のスプレッド(ベーシスと呼ぶ)分のサヤが取れるわけである。
 NASAの宇宙科学者たちが、ウォール街に流れてきて、開発したといわれている。
 宇宙産業もアポロ計画が斜陽になって、米ソの冷戦も融けた。宇宙開発の研
究者たちは、当然、仕事がなくなった。NASAで宇宙規模で放物線の表をデ
ザインしたりしていた人たちが、ウォール街に来て、デリバティブのとくにオ
プションの世界にどんどん入ってきた。それが、いま世界的にデリバティブと
いわれるものの元になっている。コンピュータを使って、いろいろなミスプラ
イスを取りに行ったりしている。
 さきがけて裁定取引をしたソロモン.ブラザーズなど外資系証券会社は、相
当な利益を上げた。しかも、このソロモン・ブラザーズは、かねてより竹下の
機関店といわれてきた証券会社である。
 裁定取引に関しても、日系の証券会社とは比べものにならないくらいのノウ
ハウを持っていたので、ものすごい利益を得たといわれ、年利に直したら、三
〇%とかいう異常な利益が出ていたという。それは、何十兆円にものぼるのである。
 竹下内閣時代の昭和六十三年九月三日、日経平均先物、TOPIX先物取引が開始された。
 この年は、証券会社では、実際の株価のピークの年と見ている。これは、先
物取引の開始と大きく関連がある。その後、平成元年十二月二十九日の日経平
均株価三八九一五円まで上昇するわけだが、外資系証券会社による裁定取引
(先物売り・現物買い) によって、どんどん上昇したのであって、実際の個別
銘柄は、上がっていない。結局、マイナス要素を含んだ株価の上昇であった。
 平成元年十二月二十九日をピークに、株価は、平成二年の年明けから、暴落
しはじめる。っまり、それまでの裁定取引でのマスナス要素が、一気に噴出したのである。
 竹下内閣は、竹下首相がリクルート事件に関連した責任を取り退陣し、平成
元年六月二日、宇野内閣に交代している。
 裁定取引でのマスナス要素が、一気に噴出したことをっかんでいたのは、外
資系証券会社だけだったのであろうか。外資系証券会社は、またしても、裁定
取引(今度は、逆の先物買い・現物売り) によって、儲けはじめた。
 その後、株価は、一時反発もするが、十月一日には、二〇二三一円まで下が
る。すでに宇野首相の女性スキャンダルで宇野内閣が崩壊し、海部内閣に代わ
つていた。大蔵大臣は竹下が信頼を寄せている橋本龍太郎だった。

 裁定取引という名の海外援助
 
 昭和六十三年九月三日に先物取引が開始されてから、この平成二年の湾岸戦
争が勃発するあたりまで、外資系証券会社の裁定取引によって、何十兆円もの
カネは、確かに日本の外へ流れていった。
 しかも、裁定取引は、一億円以下であれば手数料は、わずか〇・〇八%に過
ぎない。また当時はなぜか、証券会社は、裁定残高についての記録を取つてい
なかった。大蔵省からの通達で、平成二年八月から記録を取るようになったというのである。
 しかも大蔵省には、当時、金融検査部という部署はなかった。平成四年七月
宮沢内閣の羽田(旧田中派-I竹下派=小渕派)蔵相のときに、この部署が設けられた。
 さらに、重要なことがある。裁定取引の制限に関しては、日本より先に先物
市場が開かれているアメリカやシンガポールでは「サーキットブレーカー」と
いう制限が使われている。ニューヨークでは、五〇ドル以上の動きがあつたと
き、ストップがかかる。
 しかし、このサーキットブレーカーが、日本の株式市場に導入されたのは、
平成六年二月十四日である。ときの内閣は、細川連立内閣だった。小沢が、新
生党の代表幹事として、細川内閣を「党」の側からコントロールしていた。
 っまり、サーキットブレーカーは、裁定取引が始まってから、約五年を経て、
やっと導入されたということである。
 大阪証券取引所は、翌日の二月十五日、早速これを発動している。東京証券
取引所では、発動前の予告は何度もかけられているが、実際に発動されたのは、
これまでに三回だけである。
 ともかく、五年間は、裁定取引の市場は野放し状態だったといえる。アメリ
カやシンガポールでは制限があるのに、日本では制限がなかった。外資系証券
会社にとっては、これほど美味しい市場があったであろうか。
 外資系証券会社による裁定取引を通じて、日本からカネがアメリカに流れて
いくことが最初から仕組まれていたことであったとすれば、日本政府の責任は、
重大である。それがアメリカに対するいわば、形を変えての海外援助ということだろうか。
 小沢に近い情報筋によれば、
「イ・アイ・イの高橋治則社長と二つの信用組合をめぐる問題では、自民党と
新進党にカネが流れていた。山口敏夫と中西啓介の二人の名前が上がり、小沢
もこの間題に頭を痛めていたが、竹下も深くからんでいたので、利害が一致していた」という。
 つまり、小沢と竹下とは、ともにこの問題を国民の目から隠蔽しなければな
らない立場にあつたというのだ。二人の和解はこのあたりの共通利害から成立
したともいえるのである。
食糧自給率
離農農家、約4割が農地を放置 農水省調査

 農業をやめた農家の約4割が、それまで耕作してきた農地を放置し、有効に利用していないことが、農林水産省が初めて実施した調査で明らかになった。農業機械は約6割の離農者が放置している。政府は食料自給率の向上を目標に掲げるが、高齢化が進む農村では新たな担い手が少なく、農地の減少に歯止めがかからないのが現状だ。
 調査対象は、03年に離農した4万7000戸のうち、以前から動向調査の対象になってきた662世帯。離農後の農地の処分方法(複数回答)は、「貸し付け」が59.6%、「売却」が7.2%と再利用している農家もある一方、借り手や買い手が見つからないため放置したままの農家も37.9%に達した。
 農業機械は「放置したまま」が58.5%。売却や貸し付けの回答は13.3%にとどまった。
 離農の理由は「高齢」が44.0%と最も多く、次いで「病気や介護で農業が続けられなくなった」が29.6%、「農業以外の仕事に専念する」が15.6%だった。03年の農業就業人口368万人のうち、65歳以上が56%を占めており、高齢を理由とする離農がさらに増えていくのは確実だ。
 農水省は、離農者が手放す農地が増えるのを見越して、一般の株式会社を農地の受け皿とする案を検討しているが、農業団体の反発が強く、実現は不透明だ。

(08/18 asahi.com)
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“農業株式会社"全国的に解禁…農地法改正へ
 政府は4日、構造改革特区に限って認めている株式会社による農業経営を、全国的に解禁する方針を固めた。
 株式会社が、農地を借りる賃貸方式で経営に参入できるよう農地法を改正する。2005年の通常国会に改正案を提出する考えだ。
 現行の農地法は、農地の賃貸利用について、経営陣の過半数が農業関係者で構成される農業生産法人か農家にしか認めていない。利用権の移動を制限し、農地を維持するためだ。
 しかし、政府は昨年4月に導入した特区制度で、地域限定措置として株式会社などの賃貸利用を認めた。
 これを受け、今年4月の時点で、38法人が特区での農業経営に参入している。山梨県では、ワインメーカーが畑を借りてブドウ栽培からワイン製造・販売までを手がけ、一貫した品質管理を売り物にした事業を展開している例がある。
 政府は株式会社の農業経営参入を全国的に認めることで、こうした特色ある農業経営が広がると見ている。また、農家の高齢化などにより、耕作放棄地が21万ヘクタールにも及ぶ「農地の空洞化」の解消にも役立つと判断している。
 農水省は当初、株式会社による農業経営には、「利益が上がらなければ経営から撤退し、農地の荒廃を招く」と否定的だった。特区で認めた規制緩和の全国展開を検討する構造改革特区推進本部評価委員会のヒアリングでも、同省は「全国展開の弊害の有無が判断できない」と消極姿勢を示していた
 これに対し、評価委側は、「特区では現時点で成功と判断できる例も多い」と主張し、農水省も「全国的にも株式会社の参入が期待できる」と方針転換して全国展開に踏み切った。

 ◆農地法=戦後の食糧難時代の1952年10月に施行された法律。耕作者の農地取得促進と権利保護、地位の安定と農業生産力の増進を目的としている。所有権や利用権に関しては、農地を購入・賃借する場合は最低でも50アール(北海道は2ヘクタール)以上であることを義務付けるなど厳しく制限している。農水省は近く取りまとめる「食料・農業・農村基本計画」の中間報告で、農地法の見直し方針を盛り込む方向だ。

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【食料自給率とは?】
総合食料自給率とは国民が消費した食料を国産でどの程度まかなえているかを食料全体について示した指標です。食料は、穀物、畜産物、野菜など多種多様であるから単純に重量を足しても意味がありません。このため共通のものさしとして基礎的な栄養素であるエネルギー(カロリー)を用い総合化したものが供給熱量ベースの自給率で、経済的価値にしたものが金額ベースです。
あー腹減った、何か食いてーなー、と思うとき何のためらいもなくコンビニに駆け込んだりハンバーグ店で簡単に食欲を満たしたりしてしまうのは良くないとわかっているのだが毎日、昼食は和食レストランで…というわけにもいかない。どこかの国のように昼食には2時間かけそのあと昼寝、ということもできない。でも日本でやってるよ。犬や猫。アメリカではペット産業が3兆2000億、日本でも1兆円産業です。「食う、寝る、遊び」にかけては犬、猫のほうが上を行っている。本当は私たち「ヒト」がペットなのかもしれない。
 農地は一度荒れてしまうと簡単には元に戻りません。だから,いざというときのためにも,日頃から農業が行われ,自分たちの食べるものはできるだけ自分たちの国でつくられていることが大切なのです。
食料を作る人,食べる人の両方が力をあわせて取り組むことで,日本の食料自給率は上がっていきます。
①日本人みんなが食糧事情についてよく理解する。
②農家の人や食品会社で働く人は,安全で安心な食料をできるだけ費用をかけずに作るように努力する。
③わたしたち消費者は食べ残しを少なくし,日本でたくさん作られている米などの農産物をしっかり食べる。
④地元でとれる食材を選んで地域の農業を応援する。
⑤味もよくて栄養分もたっぷりの「旬」の食べものを選ぶ。

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農作物の「品種保護Gメン」新設、中国など海賊版対策

 農水省は21日、農作物の新品種を保護するための対策を強化する方針を明らかにした。
 日本で育成された優良な品種の海賊版農作物が国内外に広がらないようにするため、品種の権利侵害の実態調査を行う「品種保護Gメン」を新設するほか、権利侵害を科学的に立証するDNA(デオキシリボ核酸)分析ができる品目を拡大する。新品種を育てた生産者や産地の競争力を高めるのが狙いだ。
 農作物の新品種は、知的財産権の一つとして保護されており、農水省の審査・登録を経た「種苗」や「収穫物」については、種苗法によって樹木の場合は25年、それ以外は20年にわたって、新しい品種の育成者が生産や輸出の権利を専有できることになっている。
 国内では違反者の罰金額の上限を引き上げるなどの対策をとってきたが、北海道で開発された、白あんとして使われる病害に強いインゲン「雪手亡(ゆきてぼう)」の海賊版が中国から輸入されたり、熊本で育成された茎が細くて高品質な畳表になるイグサ新品種「ひのみどり」の海賊版が中国で作られるなど、権利侵害は絶えない。

(2004/8/22/03:03 読売新聞 無断転載禁止)
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農林族暗躍 余剰米対策か

 やせ細る乳児、残飯をあさる子どもたち。悲惨な写真を見せつけられながら、日本は大量のコメを北朝鮮に援助してきた。だが「コメは本当に飢えた人々に届いたのか」という疑問が常につきまとう。さらに送った日本側にも金に絡んだ事情があったようなのだ。北に渡った“にがい米”の周辺をあらってみると-。 (星野恵一)

■「援助条件に釈放どうして言えぬ」

 「一回目のコメ支援のときに『条件をつけてください』とお願いした。(拉致された)三学生の釈放をなぜ(北朝鮮に)言えなかったのでしょう」
 「コメ支援では、韓国は条件をつけている。『日本政府も条件をつけてください』と外務省に要請してきた」
 拉致被害者の有本恵子さんの両親は、衆院安全保障委員会で訴えた。日朝首脳会談の準備が水面下で着々と進む、今年七月二十五日のことだった。
 政府は、北朝鮮へのコメ支援を「人道支援」「拉致問題解決の糸口」などと説明してきた。だが、支援は、人道的で拉致問題にも役立っているのか。有本夫妻の訴えは、不透明な支援への強烈な疑問符だった。
 世界食糧計画(WFP)は現在、「北朝鮮への緊急食糧支援活動として約三十六万八千トンの追加的なコメ支援が必要だ」と世界各国に要請している。
 WFP日本事務所の寺嶋秀之広報官が説明する。「北朝鮮の食糧事情は最悪だ。資金不足で、十一月から三百万人に対する配給をストップした。数百万人が餓死する危険がある」
 WFPが配給しているのは、農村や山岳地帯など、もともと食糧が足りない地域だ。だがWFP関係者は「絶対量が足りない。現地で採れた作物は、国内の軍関係者などが先に持っていく」と指摘する。
 北朝鮮へのコメ支援については、この「必要な人に渡っているか」という問題を含め、多くの「?」がまとわりつく。

■「日朝関係の転換ならず」

 拓殖大学教授の重村智計氏は「コメ支援は大失敗」と言い切る。「日朝関係の転換にも、拉致問題の解決にもつながらなかった。人道支援は良い。だが、北朝鮮は直接、コメを配らせないし、調査も規制している。いったん配って回収しているという情報もある」
 最初のコメ支援が行われたのは一九九五年だ。当時、自民党を軸とした連立与党で構成する村山内閣が政権のかじ取りをしていた。この時は、日本赤十字を通じ、計五十万トンを北朝鮮に送った。内訳は、無償支援米が十五万トン、有償支援米が三十五万トンで、約五十六億円分だった。有償支援分の北朝鮮側の元本返済は、三十年繰り延べされた。繰り延べ期間中は年利2%、返済期限後は年利3%の金利を支払う約束だった。

■利払いの督促に「北」は返答せず

 「利子は最初の一回分が支払われただけで、あとは支払われていない」。民主党の木下厚衆院議員が指摘する。食糧庁担当者は「その後も利払いは行われず、今年九月時点で、未払い金利分は累計で約七億五千万円に上る」と明かした上で嘆く。「毎月、督促しているが履行されない。昨年の日朝国交正常化交渉の際にも、利払いの督促をお願いしたが、返答はまるでない」

■多くのコメ無償で供与

 コメ支援は、その後、九七年に六・七万トン、二〇〇〇年にも十万トンと五十万トンの二回に分け計六十万トンが、いずれも無償で行われた。支援累計は、計百十六万トン、金額にして計二百六十七億円分に達する。
 重村氏は、その背景に両国の政治的思惑があったとみる。「国会対策や永田町の論理によるコメ支援だ。北朝鮮は北朝鮮で、当時の窓口となっていた書記が立場が悪くなり、点数を稼ぐためだったという情報もある」
 特に関係者が問題視するのは、二〇〇〇年の五十万トンだ。九五年の支援米はすべて緊急輸入米だった。九七年の支援米も五万トン近くは、国外からの安い政府輸入米だ。二〇〇〇年の最初の十万トンの九割も輸入米だ。
 「輸入米の方が同じお金でも、日本の米より多い支援ができる」。食糧庁や外務省の関係者は口をそろえる。ところが、二〇〇〇年十月に決まった五十万トンの支援米は、すべて国産米だった。「農業政策の一つでもあったんでしょう」。外務省関係者があきれたように話す。
 同年九月下旬に開かれた自民党農業基本政策小委員会で、小委員長(当時)の松岡利勝衆院議員は、政府の在庫から五十万-百万トンを国際援助枠として隔離することを提案した。
 木下議員が指摘する。「その後の自民党外交部会では、松岡議員と、当時自民党総務局長の鈴木宗男被告=受託収賄罪に問われ公判中=が農林族議員の若手を引きつれて乗り込み、すさまじい圧力をかけた。それによってこの五十万トンの米支援が決まった」

■国の1400億円負担 最後は『税』

 そもそも、WFPを通じた支援は、政府がWFPに資金を提供し、WFPが日本の米を購入して北朝鮮に送る仕組みだ。WFPが買い上げる米の価格は国際価格。世界的にも高い日本の米の価格はその八倍近い。そこに生じた差額は、二百六十七億円とは別に食糧管理特別会計など国の負担となる。その額は総額で一千四百億円以上に上る。重村氏は「赤字が出ている。つまり税金の無駄遣い」と解説する。
 「米は生もので、備蓄で置いておいても、品質が劣化していく。そういう状況のもとで備蓄米を援助に充てる。古いものから充てていく」。一昨年十一月、衆院外務委員会での食糧庁幹部の発言だ。「(コメ支援は)余剰米対策ではないか」という質問に答えたものだった。九五年以降、米は豊作が続き、余剰米は増加していた。

■在庫米350万トン 農協もパンク
 「そこに手を貸したのが、自民党の農林族だ。明らかな余剰米対策だ」。木下議員が、資料を手に続ける。「当時、三百五十万トンの余剰米が在庫としてあり、農協はパンク状態だった。これだけの米を置いておくだけでも金がかかる。処分するにもばく大な予算が必要となる」。さらに、高価な国産米を使った二〇〇〇年の五十万トンについては、「食管会計にあく穴を、一般会計から埋めるという念の入れようだった」と指摘する。
 重村氏は苦笑する。
 「結局、コメ支援によって、北朝鮮、そして拉致問題など、一体、何が変わったんでしょうか。コメ支援にかかった金を、後押しした政治家に返してもらいたいくらいだ」
 「拉致問題に進展のない限り、コメ支援も(続けるかどうか)考える」。日朝首脳会談後、小泉首相は発言した。だが-。
 複数の議員が証言している。
 「政府の一部では、硬直した拉致問題の打開のために『コメ支援を続けるべきだ』と訴える声が依然としてある」
<デスクメモ>
 イタリアの水田地帯を舞台にした映画「にがい米」で、シルバーナ・マンガーノの肉感的な姿態は印象的だ。田んぼで働くほかの女性たちもセクシーで、たくましい。さて相変わらず飢えが続いているらしい北朝鮮はどうか。水田では、にがすぎた現実に生きる女性たちの、絶望的な姿が見えるのだろうか。 (富)

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「ヤミ米派」から年商60億円の経営者へ
大潟村あきたこまち生産者協会社長
涌井 徹さん(55歳)

48年 新潟県十日町市に生まれる
70年 家族と大潟村に入植
71年 米の生産調整始まる
87年 大潟村あきたこまち生産者協会設立
93年 冷夏による不作で米不足に
95年 食管法廃止、新食糧法施行
00年 とがずに炊ける無洗米を全国発売
(入植前の研修時に、右が涌井さん)

 「ヤミ米派」と呼ばれていた農家が、売上高60億円を超える企業経営者に変身した。
 日本で2番目に大きい湖、八郎潟を干拓して生まれた秋田県大潟村。見渡す限り田んぼが広がるなかに、低温倉庫や精米、炊飯工場がそびえ立つ。一見、コンビナートのようだ。
 村に540戸ある農家のうち、170戸と契約し、あきたこまちや加工米を直販する。自らも30ヘクタールの田んぼで米を作る。
 産地直送の相手は、全国の個人会員5万人と、法人7200社。牛角、紅虎餃子房といった外食チェーンや、東横インなどのホテル、大学病院、スーパーなどに広がる。
 研がずに炊ける「無洗米」や栄養素の多い「発芽玄米」を開発。無洗米を加工する時に出る米のとぎ汁から、飲料酢を作り、売り出した。秋からは腎臓病患者向けに、たんぱく質を少なくした低グルテリン米の販売も始める。
 「ライバルは食品、医薬品会社です」
 健康ブームを追い風に、米の機能を生かした商品開発に余念がない。数年後の株式公開も視野に入れている。
 国の減反政策と闘い続けてきた。21歳の時、新潟県十日町市から、両親と弟、飼い犬とともに、家財道具をトラックに積み込み、大潟村に入植した。
 入植したその年、政府は米余りを理由に、農家の作付面積を制限する減反政策を発表する。最初は従い、米以外にも麦や野菜を作った。だが、干拓した土地に、米以外の作物は育たなかった。借金だけが増えた。
 「これでは何のために入植したのか分からない。自分の田んぼに、なんで自由に米が植えられないんだ」
 疑問が怒りに変わり、減反に背いて米作りに専念した。減反に従わない農家は、「ヤミ米農家」の烙印(らくいん)が押される。ほとんど実った稲を、食糧事務所の指導で青刈りし、廃棄されるのを見て、悔しくて涙も出なかった。
 87年、全国の消費者に安全でおいしい米を届けようと、仲間4人と協会を設立。村で作った自由米(ヤミ米)の産地直送を始めた。県や農協の圧力で、宅配用のトラックを止められたこともあった
 農家をがんじがらめに縛る食糧管理法は、農家の経営力、営業力、商品開発力を奪ってきた。その食管法も95年に廃止された。農家が自由に米を作り、自由に売れる時代になった。
 「長年、我々をいじめてきた農水省もようやく、大潟村がモデルだと言い始めた。産業として十分成り立つ農業のモデルを示していきたい」
 社長室には、幕末の志士、坂本竜馬の等身大の写真が飾ってある。
 「力のない農民が、どうしたら発言力を強め、農政を変えていけるか。その答えがこの会社をつくることだったんです」

◆うまい・安全満たされ、「健康にいい米」追求

 ――大潟村に入植した理由は。

 涌井 おやじが新潟県十日町市で農家をしていました。でも、田んぼは1.3ヘクタールで、米100俵しかとれない。当時、1俵(60キロ)の値段は8000円。一家総出で働いても80万円にしかならない。車も買えない。父は出稼ぎに出て、母は自宅で美容院をしながら暮らしていました。高校3年の時、大潟村への入植募集を知りました。1農家への割り当ては10ヘクタール。これなら十分食っていけるだけの米が作れると思って、家族に提案したんです。

 ――入植後は順調だったんですか。

 涌井 入植した年に、国の減反政策が発表され、翌年から実施されました。そのため、田んぼの半分を畑作にして、麦や大豆、キャベツ、メロンを作りましたが、うまくいかない。田んぼのために干拓した土地ですから、水はけが悪く、向かないんです。だんだん借金も増えてくる。これでは何のために大潟村に来たのか分からない。そこで、仲間と一緒に、減反政策に背き、米だけを作り始めたんです。

◆二分された農家

 ――抵抗はなかったんですか。

 涌井 村は減反に従う農家と、従わない農家に二分されました。従わない農家の子どもたちは、学校で「ヤミ米」と呼ばれ、いじめられた。減反命令を無視して作ったという理由で、国と県の指導で99%実った稲を、1週間かけて青刈りする。自殺する農家も出たほどです。

 ――会社をつくったきっかけは。

 涌井 減反しない仲間たちの作った米を、消費者に直接販売することで、農家の自主自立の道づくりを進めようと思ったんです。自由化に向けて、どういう農業をしたらいいのか。個人に売ろうとしても、どこに売ったらいいのか、何もノウハウがない。そこで、全国に折り込み広告を2千万枚配ったり、米の袋に自分たち生産者の写真を入れたり。最初は100件、200件の申し込みでしたが、3年後には1万人にまでなりました。

◆宅配業者に圧力

 ――「食管法違反覚悟の産直」とマスコミに騒がれました。

 涌井 県や農協、食糧事務所からものすごい批判が来ました。宅配業者に圧力がかかり、産直の米が運べない。夜、自分でトラックを運転して、県外まで運び出したこともあります。

 ――米の付加価値を追求していますね。

 涌井 日本の米作は、昭和40年ごろまでは、ひたすら増産増産の時代だった。高度成長に入ると、輸入食品があふれてきて、米が余ってくる。するとコシヒカリのようにおいしい米を追求する時代になった。ある程度、おいしさが満たされるようになると、今度は安全、安心。空腹が満たされ、おいしさが満たされ、安全、安心が満たされた後は、米の付加価値は機能性だと確信したんです。

 ――輸出も考えていますか。

 涌井 十分、考えていますよ。何度か米国に行って、知り合いと話をしているんですが、おいしい米を輸出してもしょうがない。米国人が米を食べるとき、コシヒカリの味は求めない。おいしさの概念は国によって違いますから。それより、発芽玄米や低グルテリン米といった、健康にいい米は価値がある。お米の機能性を輸出することができれば、新しい可能性は広がってくると思っています。

 ――WTO(世界貿易機関)の農業自由化で、海外から入ってくる米や農産物は脅威では。

 涌井 外国の米との競争ではないんです。国内の他の食品との競争なんです。朝や昼はパンやめんを食べて、ご飯を食べるのは1日1回という家庭も増えている。その中で米の価値観をどう高めていけるか。発芽玄米であったり、普通の安い米であったり。競争は限りないですよ。

◆いま農業は有望

 ――就農者の減少や高齢化で、日本の農業の競争力に危機感が持たれています。日本の農業の将来について、どう見ていますか。

 涌井 私は大潟村で30年以上、農業をやっていますが、いまが一番、農業の可能性が広がっていると思うんです。日本の農業は今までの延長でいったら、誰もやらない滅び行く産業になってしまう。でも、やり方次第では、将来有望な産業になり得る。自動車ではトヨタであり、電機では松下であり、みんなモデルにしたいような会社がある。日本の農業には、モデルっていうのがないんです。新しい農業のスタイルを示して、みんながモデルにするような会社にしたいんです。

 ――産業として見れば、ある程度、規模が必要なのでしょうか。

 涌井 農作業と農業経営は別なんです。単なる農作業をするなら、土地がいる。経営者になるのであれば、土地はいらない。土地は生産手段であり、道具であるという発想に立ったとき、農業は大きく変わっていくと思います。土地を財産と考える農業経営はもう成り立たない。農作業をする人は、農村にはいくらでもいる。でも、商品開発や加工や営業ができる人が少ないんです。

 ――ライバルは。

 涌井 ライバルというより、うちがモデルにするのは食品産業の上場企業です。常に東京や大阪の食品会社を意識している。そういう企業と比べて、うちが足りないのは、研究開発のための人材です。今年、大卒の新入社員を15人採りました。それでも足りないので、国や県の研究機関や民間企業との共同開発を進めています。そのうちに白衣を着た研究者が10人も入るようになれば、いま目指しているような会社は作れると思うんです。

経済部・大滝敏之





◆ 転機 ◆

冷害での米不足が経営姿勢変えた
 93年の夏は、記録的な冷夏だった。大潟村でも6月の10日過ぎから雨が降り続いた。梅雨がなかなか明けない。
 会社設立から6年。米の産地直送を軌道に乗せるため、出荷量を前年の倍の20万俵に増やそうとしていた。そこで、これまで1俵(60キロ)2万円で買い取っていた米を、2万3000円で買うと、大潟村の会員農家に声をかけていた。
 お盆をすぎても低温が続いた。全国で米の凶作が相次いだ。大潟村は他の産地に比べて、被害は少なかった。
 収穫期になると、限られた銘柄米の争奪戦が始まった。農家から買い取る価格を2万8000円、2万9000円、3万円と上げていった。そこに、「安売り王」で有名な城南電機の宮路年雄社長(故人)が大金を抱えて大潟村にやってきた。1俵6万円で買うという。農家の目の色が変わった。
 「うちは6万円では買えないが、今後4年間、3万円で買います」と約束した。なんとか、販売する米を確保した。
 買い付け価格が上がったため、消費者への販売価格を10キロ6000円から7600円に値上げした。
 翌94年は、全国的な豊作となった。米の値段も下がった。だが、買い付け価格が高いままなので、販売価格は下げられない。「お客に値段を決めてもらおう」と、約5万人の顧客に手紙を出した。
 「我々は良質で安全な米を出荷しています。米価が下がっていることは重々承知しています。希望価格をお知らせ下さい」
 2%の客は「500円から1000円下げて欲しい」と答えた。残りの98%の客は「いまの価格で結構です」という反応だった。
 高いお米を買ってもらうお客に、何とか応えたかった。その答えが、安全と安心だった。
 残留農薬の分析装置を導入し、安全の基準を数値で示した。化学肥料を使わず、米ぬかを発酵させて肥料にする工場も作った。
 「品質管理を徹底させるという意識が根付いたんです」
 冷夏による米不足が、「農家」から「企業」への脱皮を促した。


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★大潟村 国が1957年から干拓事業を進め、67年から入植者が就農。耕地面積は約1万1500ヘクタールで、1区画縦140メートル、横90メートルの水田が並ぶ。「最初は見分けがつかず、他人の田んぼを耕していたことも」
★会社 資本金4325万円。従業員160人。03年9月期の売上高は約62億円。本社会議室には、東京、大阪、名古屋、福岡、札幌の各営業拠点とテレビ電話がつながる。

★食事 「やっぱり米を食べないと」と3食ともご飯。

★趣味 週末には家族と秋田市内の映画館に。


(asahi.com)
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食糧自給率45%、2010年達成を断念

 農水省は16日、現在40%の食糧自給率(カロリーベース)を2010年までに45%へ引き上げる現行目標の達成が困難になったとの報告書をまとめた。
 食生活の変化で、国産で賄えるコメの消費が減る一方、農作物輸入が増えたことが原因だ。農水省は、新たな自給率向上策を盛り込んだ、2015年度までの新しい目標を来年3月にまとめる方針だが、低迷を続ける自給率の向上は容易ではないとの見方が強い。
 現行の自給率目標は2000年3月に設けられた。しかし、食生活の変化に伴って需要が伸びている肉類や乳製品、その家畜のエサとなる牧草やトウモロコシなどは外国からの輸入が増えており、自給率は6年連続で横ばいを続けている。
 農水省は、食生活の見直しを働きかけ、輸入が多い小麦や大豆などの国内生産の向上を図る考えだ。また、大規模農家の育成など農政改革の具体化を急ぐことで、自給率の向上を図っていく。
 新目標は、2015年度に45%とする案が有力だ。しかし、実現に向けた説得力のある施策を提示できなければ、目標の先送りとの批判が出る恐れがあり、農水省は今後、専門家などを交えて協議を進めていく。

(2004/9/16/20:02 読売新聞 無断転載禁止)



【石の扉】第八章 全能の目

一ドル紙幣の「全能の目」は、なにを見つめているのか?
本書のはじめの方で、一ドル札に「ピラミッドと全能の目」があるのは、フリーメーソンとなにか関係
があるのだろうか、ということを綴りました。
「ピラミッドと全能の目」
これは是非とも押さえておかなければならない重要な課題だと思います。
なぜなら、それを論じるということは、アメリカという国家のは
1776年、アメリカに紙幣委員会が設立されました。一ドル札のデザインを決める機関です。
その委員の中にベンジャミン・フランクリンがおりました。
フランクリンは、押しも押されもしない高名なメーソンです。
断っておきますが、本書であの人物はメーソンだと断定するのは、メーソンの名簿に載っている故
人か(故人の場合、特別なことがないかぎり、遺族に断わりなくメーソンだと公表していいことにな
っています)、存命であっても、公然と自ら名乗っているメンバーに限っています。
(略)
で、ベンジャミン・フランクリンはフィラデルフィアのセント・ジョーンズ・ロッジに籍を置くフリーメーソ
ンでした。
同時に、アメリカで3本の指に入る重要議員であり、アメリカ合衆国憲法制定委員会にも参与して
いた実力ある人物です。
前提から言いますと、そのフランクリンが、一ドル札にメーソンの象徴を刷り込む誘惑にかられたと
しても、なんら不思議はないということです。
そんな馬鹿な、とお思いでしょうが、当時のアメリカという社会全体が放つエネルギーを充分考慮
すれば、この説に頷いてくれると確信します。
1775年 アメリカ独立戦争勃発
1776年 アメリカ独立宣言
1776年 紙幣委員会設置
1777年 サラトガの戦いで米軍が英軍に勝利する
1781年 ヨークタウンの戦いで英軍降伏
1788年 アメリカ合衆国憲法発効
1789年 初代大統領ワシントン就任
見た通り戦争一色です。
合衆国のドル紙幣を作ろうと動き出したのは、独立宣言の真っ只中の出来事です。気運はまさに
英国なにするものぞという、輝ける波動が、大きくうねりを見せていた時分です。
この時期に、アメリカ独自の一ドル札を作ろうというのです。
にもかかわらず、ピラミッドを持ってきた。これは不自然だ、と思わない人はいないでしょう。
精神的には唯我独尊の状態にあるアメリカ合衆国。それなのになぜ他国、イスラム国家、エジプト
の象徴であるピラミッドを自国の国璽として通貨にとり入れなければならないのか、ということです。
まともに考えれば許されないことです。アメリカ合衆国の中枢は、東部エスタブリッシュメント、つまり白人、アングロサクソン、プロテスタントという通称「WASP」に代表される保守的な面々に握られていました。
人種差別などあたりまえで、黒人などは家畜扱い、実際に黒人牧場というのがあって、そこで馬の
ように丈夫な黒人を生産しては売り買いしていた時代です。
人種差別は国の差別に直結します。エジプト人などは扱いは黒人並みか、それ以下でした。そう
いう環境にあって、なぜピラミッドなどという、見下した国の象徴をぶつけたのか?
たとえば、我が国に置き換えてみてください。独立宣言といえば、日本なら明治維新と考えていい
と思いますが、そんな時、新札の一円札に、当時は蔑んでいた中国の万里の長城とか、カンボジ
アのアンコールワットを刷り込んだりするでしょうか。そんなことをしたら、国辱だと大問題になったはずです。
しかし、アメリカの紙幣委員会は「ピラミッド」を推し、議会はそれを承認してしまったのです。
どうしてなのか?
表面的には奇異に見えることでも、違う世界から見ると納得のいくことだったのです。いみじくも、
フランス革命が起った年とアメリカの連邦政府成立は同じ年でた。そして、双方とも、陰に陽に自由、平等、平和を掲げるフリーメーソン思想の影響が囁かれているのです。
あちこちで「あれはフリーメーソンが起こした革命だ」という声が上がっていたように、まさに彼らの思想の反映と言っていい結論です。
アメリカの独立から百年後、フランスのメーソンが、アメリカのブラザー達に自由の女神をプレゼン
トしたように、両国のフリーメーソンもそのことを強く意識しておりました。
2つの革命のことは、ここで論じませんが、メーソンの自由、平等の思想の根底にあったのは明ら
かです。ですから、新生アメリカの議員の中にも、圧倒的多数のメーソンが含まれておりました。
たとえば、「アメリカニズム」という言葉を独立宣言に著した、ジョン・ウィザースプーンという議員もメーソンですし、一説によると当時の議員の半数以上が、メンバーであったと言われているくらいの勢力だったのです。
その頂点に居座っていたのが、アメリカ合衆国初代大統領、ジョージ・ワシントンです。
彼は1752年にフリーメーソンに入会し、それ以来ずっと熱心な活動を続け、またそれを公言して
大統領に就任した人物です。
メーソンが、アメリカ大統領の席に座る。ご存知のとおり、米国の大統領というのは、官僚を即座
に総入換えできるほどの権限を有し、日本の首相など足元にも及ばないパワーを持っています。
その座に、メーソンを公言した人物が深々と腰をおろしたのです。
この事実を、当時のメーソンたちはどう考えたのでしょう? ここが肝心です。
情勢をかんがみれば、フリーメーソンにとって、自分たちがとうとう国の玉座についたのだ、という
錯覚を起こしかねないほどの出来事だった、と推測するのが妥当です。
その熱狂と興奮の渦の中で、フリーメーソンであるベンジャミン・フランクリンはドル紙幣作成という任務を与えられたのです。絶対権限のあるワシントン、そしてナンバー2といっていい地位にあるフランクリン。2人のフリーメーソンが、紙幣にメーソンのなんたるかを溶け込ませたいという思いが、めらめらとわきおこったとしても、不思議ではありません。
やがて、紙幣委員会に、数種類の紙幣デザインサンプルが提出されます。
その一つに、当時、ヨーロッパ、とくにフランスのメーソンの間で流行りつつあったマーク、「ピラミッドと全能の目」がありました。
形ばかりの採決が行われます。もちろん示し合わせたとおり、万事おこたりなくそれが採用されま
す。そしてあとは、議会の承認を待つばかりです。これもまた、主流を固めていたフリーメーソン議員たちはすでに包囲網を完成させて、議会通過という儀式が行われたということです。
当時のメーソン議員たちは、あまりにも圧倒的でした。そのため、一ドル紙幣に、メーソンのマーキ
ングを施すこと自体、あまり大きなことだという認識を持っていなかった。
なぜなら、アメリカ合衆国にもっと大きな楔を打ちこむことを頭に描いていたからです。
(略)
一ドル紙幣に込められた真実
ところで、一ドル札のピラミッドは、何段あると思いますか?
13段です。
この数字、なんだか奇妙だと思いませんか?
われわれ日本人からするとどうということもないのですが、アメリカでは一番、忌み嫌われている
数字です。
13日の金曜日はご存知のようにキリストが処刑された日とされ、13階段は絞首刑の階段を表
し、現在でも13階段のないビルやアパートを目にするお国柄す。
ところが、一ドル紙幣は13という数字だらけなのです。
まずピラミッドの階段が13段。
紙幣の右側には、鷲の図柄があります。
その鷲の胴体のストライプの数は13本、鷲が左足に握っている矢の数も13本、右足に握ってい
るオリーブの葉の数も13枚です。
さらに、鷲の頭上の星の数さえ13個です。これでもかと現れる、凶数字。これはいったいどういう
ことなのか?
インチキ本なら、そこには反キリストの悪魔教が隠されているからだ、というストーリーをでっち上
げるのでしょう。しかし、そうではありません。
アメリカの小学校では、こう教えています。
当時の州の数が13あったのだと。
白頭鷲の左足が握っている矢は、軍事を意味し、右足のオリーブの枝は平和を表しています。
ですから学校では、アメリカ(白頭鷲)という国が、13州と軍事と平和を一つに束ねているのだ、という意味だと教わります。
ピラミッドが、13段になっているのも同じ伝です。
しかし、13という数は、ほんとうに州の数を指しているだけでしょうか?
それを話すまえに、またピラミッドに立ち戻ります。問題の「全能の目」は脇に除けておくとして、再度じっくり一ドル札のイラストを見てください。
奇妙なことがまだあることに気がつくと思います。
それは言葉です。自国語の英語を排し、ラテン語が書かれているのです。
アメリカ合衆国の通貨なのに、なぜ英語ではなく、わざわざラテン語を並べたのか?
日本の千円札に、韓国語を書くようなもので、まことにおかしな話だと言わざるをえません。
それはラテン語でこう綴られています。
「NOVUS ORDO SECLORUM」
「新しい世紀の秩序」という意味です。ではなぜ、A new order of the age という、英語ではいけな
いのでしょう。
だれからも、異論はでなかったのでしょうか?
そして、ピラミッドの上空には、これまたラテン語です。
「ANNUIT COEPTTIS」
私の知り合いのアメリカ人で、この意味を知る人はいなかったし、彼らにとっても、発音するだに難
しいことなのです。
一般人に分からないものを載せる。これにどういう意味があるのでしょう。
このラテン語の解釈は微妙ですが、おおむね「我々の計画に同意せよ」というほどのことです。こ
れも、さっぱり分かりません。
「我々の計画」とは?
国造りの計画を指しているのなら、そうはっきりと明記すればいいし、法律を守れ、ということであ
れば、そう述べればいいわけです。
そして「我々」とはいったい誰のことなのか? アメリカ国民のことをさすのでしょうか?
他国の難解なラテン語を何故持って来たかという謎。そして謎めいた言葉。
そこにはなんらかの理由があったはずです。紙幣委員会では、その理由をちゃんと説明し、委員
の賛同を得ているという手順を踏んで採用されたはずです。
なぜ、国民が読めない文字を持ってきたのか?
企てがあったとみて間違いありません。
では、なぜ読ませたくなかったのか?
その前に、この二つのラテン語の配置を見較べてみてください。
二つのラテン語は、ピラミッドを挟むように書かれ、同じ円の中に納まっています。ということは、ピ
ラミッドと一体の言葉だということが分かります。
そしてこの円は、右の円の白頭鷲と対座しています。
さきほど、白頭鷲はアメリカ国家を象徴したものだと言いました。それとバランスをとるように「ピラミッドと全能の目」があって、「我々の計画に同意せよ」「新しい世紀の秩序」と命じているのです。
ピラミッドの土台部分には、ローマ字で一七七六と、独立宣言の年が打たれています。
さて、もう一度言いますが、右の円には白頭鷲のアメリカ国家。左の円には未完成のピラミッド。二
つはちょうどバランスがとれています。では、いったいピラミッドは、何を意味しているか?
一般には、このピラミッドは、白頭鷲同様、国家を表しているのだと思われています。
まだ建国の道半ばだから、未完成のピラミッドにしたのだというのです。ピラミッドの石段は、13州をあらわす13段まで積まれている。しかし、それならなぜ、13州で明確に締めくくったのかという疑問が湧きます。
とうぜん、これから増えるであろう州をまるで考慮にいれていないのです。
事実、州は14、15と続き、数年もかからないうちに20州に増えているのです。
紙幣を作った時点で、国家はまだ未完成なのだ、これからも発展するのだということであれば、ピ
ラミッドにしても、白頭鷲にしても13州に固定するのはおかしな話です。
熱い革命の熱がワシントンをおおっている最中で志は高く、どんどんと州を合併してゆく過程なの
です。
こうして考えると、13という数字には、州以外の別の意味があるのではないか? と思うのが当然
ではないでしょうか? 表向きの意味は、たしかに13州ということでしょう、しかし、それは苦しいカモフラージュで、真の意味は隠されているのです。

スコティッシュ・ライト
ここに、アメリカの高名なメーソンメンバーZ氏に、登場願います。彼から私が直接聞いた話はこうです。
13という数字は、フリーメーソンのスコティッシュ・ライトとおおいに関係があるというのです。
スコティッシュ・ライトというのは、フリーメーソンの三階位になってはじめて入会が許される秘密結社です。
スコティッシュ・ライトは四階位から三十三階位まであります。もちろん、入る入らないは自由で、これはフリーメーソンの上部団体というわけではありませんが、熱心な人はどちらかというと、そこにも加盟する傾向にあります。
ちなみに現在のメンバーは、アメリカを中心に、百万人を数えるまでになっているのですが、大秘
儀と小秘儀のなかにさまざまな逸話と知恵を織り込んだ、大変興味深い団体です。
スコティッシュ・ライトについてざっと説明します。
(略)
さて、フランス人、エティエンヌ・モランはスコティッシュ・ライトを広めるためにアメリカに上陸しました。
彼はメーソンであり、同時にカソリック教徒でもありました。
1766年に、北米で本格的な活動が開始されます。時は、独立戦争前、こうしてスコティッシュ・ライトはアメリカに広く浸透していったのです。
Z氏は、私にこう打ち明けます。
「一ドル紙幣裏面に、白頭鷲の13本のストライプ、13本の矢、13枚のオリーブの葉、13の星、ピラミッドの13段の石段、少なくとも5つも登場する13という数字は、そのスコティッシュ・ライトの13
階位を象徴しているのです」
13階位。
階位にはそれぞれ名称があって、この13階位は「ロイヤルアーチ・オブ・ソロモン」と名付けられています。スコティッシュ・ライトの教えには、口に出して言ってはいけない「神聖な階位」と呼ばれるものがいくつかありますが、この階位もそれに属します。
13階位、「ロイヤルアーチ・オブ・ソロモン」の逸話は、イノックという男の伝説が主な物語です。どんなものかちょっと触れてみたいと思います。
古代、神の名は一般に知らされていませんでした。
現代「ゴッド」だとか「ヤーヴェ」とか称しているのは、後世の人が勝手に付けただけで、神が自分
でゴッドだと名乗ったわけではありません。
神の名が明らかにされないというのは、昔の常識でした。
中国や日本でも王の名はタブーとされていた時代があったのですが、その理由は、呪術的に危険
だと考えていたからです。名前が分かればそのものが特定され、悪魔が呪いをかけるかもしれな
いというのです。
邪悪なものから守るために、神や権力者の名は伏せられていたのです。
また、ほんとうの神の名には、それ自体呪術的な力が宿っていました。聖職者でない者が神の名
をみだりに口にするなどは、あまりにも神聖過ぎて、不完全な人間の口に乗せることをよしとしな
かったのです。
ですから、古代ヘブライの人たちは神のことを「アドナイ」という言葉に置きかえて呼んでいました。
さて、イノックは善良で裕福でした。全身全霊を持って神を愛したため、ある日、夢の中で神が現
れました。
「おまえほど神を愛した男はいない。おまえだけに神の名を教えよう。だが、だれにも漏らしてはな
らぬ」
神の名前は不思議な発音でした。しかしそれは、誰にも告げられない名前。忘れないようにメモに
残すと、今度は他人に見られる恐れがある。
さりとて、なにも書かないで、忘れてしまったら大変です。

そんな時、彼は、夢でなんとも不思議な場所を見るのです。
──ひょっとすると、神の名を書いてその場所に埋めておけというお告げかもしれない。
そう思ったのです。
何かに導かれるように、イスラエル、カナンの地に辿りついたイノックは技術者を雇い地下を掘ら
せます。
それは九層からなる地下でした。一層ごとにアーチ状の天井を持つ部屋です。
そして最下層の部屋に、メノウの台座を置き、上に三角形の黄金の板を納めたのです。黄金の板
には、神から告げられた口に出してはいけない「神の名」をあらかじめ彫っておきました。
それから数千年がたちました。ソロモン王の登場です。ソロモンは、裁判所を建てようと計画しまし
た。土地を探し、3人の技術者が測量に入ったときでした。偶然に、かの地下に通じる道を発見し
たのです。幾層にもなる地下室のひとつひとつに潜っていくと、一番下で黄金の光り輝く板を目に
します。そこには不思議な刻印文字がひとつ。誰も読むことはできません。
しかし、ソロモンはそれこそが本当の神の名だと分かったのです。
ソロモンが発見したこの地下をロイヤルアーチと呼び、発見した3人の技師たちに、ロイヤルアー
チという称号を与え、それを13階位の名称にしたのです。
ですから、13階位ははじめて神の文字が明かされる重要な階位なのです。
そして、スコティッシュ・ライトでは、13階位の持つ意味を、次のように位置づけているのです。
「ロイヤルアーチ」は神殿の基礎石。国家で言えば、成文化された基本法を意味します。
もうおわかりだとおもいますが、「ロイヤルアーチ」を、人々がもつ基本的権利の象徴として、一ド
ル紙幣に登場させたというわけです。
一ドル紙幣に登場するすべての13は、13州ではなく、アメリカという新大陸に渡り、独立戦争を
戦った全国民を称えて、「おまえたちはまるでロイヤルアーチのようだ」と13階位になぞられてい
るのだとZ氏は言うのです。
そして、その上にある「全能の目」は、フリーメーソンが指導的立場に立っていることを表し、「我々の計画に同意せよ」(ANNUIT COEPTTIS)と、これが「新しい世紀の秩序」(NOVUS ORDOSECLORUM)なのだ、と、高らかに宣言しているのだと、告白します。
「左の丸には、ピラミッドをはじめとするフリーメーソン、そして右の丸の中にはアメリカ合衆国。二つはバランスよくあらねばならないのです」
彼の楽しいお喋りは続きます。
「フリーメーソンと国民の間に『ONE』という大きな文字が印刷してありますね。この『ONE』は一ドルの一という意味だけでなく、一つと意味なのです。両者が合体して、一つの国なのだということ。
それと、白頭鷲がつかんでいるオリーブはフリーメーソンの象徴であり、その鷲が首をよじって見
ている方向には、ピラミッドがあるのが分かりますか? これは常に、国民はフリーメーソンを見習
って欲しいという願いです。それに引き替え、『全能の目』は、正面を向いていますね。そう、フリーメーソンは世界、宇宙に対して目を開いているという図なんです。だから一ドル札の裏面は、ただ
の貨幣ではなく、メーソンのいわば、記念碑だといっていいのです」
Z氏は白髪を後ろにかき上げ、つけ加えます。
「しかし、ワシントンたちは、まもなく気がついたんですな。そんなことは、民主主義の見地から見
て、決していいことではないとね。悪気はなかったのだが、自分たちがオーバーヒートして行ったこ
とが大っぴらになれば、それは命取りになる。フリーメーソンの企てであり、非民主主義的陰謀で
はないかと、非メーソン勢力のかっこうの攻撃材料になる。それで、問題化されるのを嫌って、そう
いうことはないと笑い飛ばし、ずっと打消して来たのです。早い話が、自分たちの功績を、封印した
ということです」
かくして、作戦は成功したのです。
「不自然さは残ったにせよ、永遠に消し去ったと言えるだろう。今では、メンバーの中にさえ、あれ
はフリーメーソンとは無関係だと、まじめに言うやからが出て来たんだからね。敵を欺くにはまず見
方からですよ」

Z氏はにやりと笑いました。
「周りを見渡してみたまえ、アメリカのシンボルとして、白頭鷲はいたるところに使用されているが
同じ国璽なのに『ピラミッド』と『全能の目』はわずかに一ドル紙幣に残るだけでしょう。論争を広げたくはないからこそ、その後、ぴたりと使用を止めたということなんですよ」
ということで、メーソンの立場(視線)から、一ドル紙幣にある意味を説明してもらいました。
イラク派遣に隠されたキリスト教の世界より


<中略>

■日本のプロテスタントとカトリック

 今まさに「ショー・ザ・フラッグ(旗幟鮮明にせよ)」を慣れな
い手付きで掲げて乗り込もうとしているのが日本である。イラク南
部サマワで駐留を予定している陸上自衛隊は、英国軍の指揮下に置
かれ、オランダ軍と協力関係になる。つまり、ロイヤル・ダッチ・
シェル連合の中に組み込まれることになる。米国軍の指揮下ではな
いことに注目すべきであろう。
 そして、断固たる決意で自衛隊派遣を指揮する石破茂防衛庁長官
もプロテスタントである。本人の発言によれば、新島襄と同志社大
学を作った初代金森通倫(母の祖父)から数えて4代目のクリスチ
ャンであり、子供の頃は毎週教会に通っていた。「神が存在しない
という考え方自体が信じられない」と語り、同じプロテスタントで
ある三浦綾子の「塩狩峠」にも言及している。
 「日本の防衛庁長官はキリスト教徒のネオコン。だから、キリス
ト教的価値観を重視するブッシュ大統領やネオコンのウォルフォウ
ィッツらと結びついて、一心同体でイスラムに対峙するんだ」と書
かれかねないとして、宗教心を語らないようにしてきたとのことで
あるが、この発言が掲載された言論誌「諸君2004年3月号」で
は4ページに渡って宗教観を語っている。この文面を読む限り、断
固たる決意の裏にはプロテスタントの自己犠牲的な理想主義が見え
隠れしており、カルヴァン派の影響が読みとれる。
 聖書の教えからカトリック教会を批判して、離党したのがプロテ
スタント(抗議者)であり、カトリックを代表している日本人が、緒
方貞子・前国連難民高等弁務官である。
 緒方貞子の曽祖父は犬養毅元首相、祖父は外務大臣を経験した芳
沢謙吉、父親は元フィンランド大使を務めた中村豊一である。夫で
ある緒方四十郎(元日銀理事、日本開発銀行副総裁)は首相目前と
いわれながら急逝した緒方竹虎元自由党総裁の子息であり、富士ゼ
ロックスの非常勤取締役や世界の選び抜かれた国際経済・国際金融
専門家や金融政策当局などが集う国際金融マフィアの牙城「グルー
プ・オブ・サーティー(三十人委員会)」のメンバーを務めてきた。
つまり、世界の有力者の誰もが認める日本を代表する国際派エスタ
ブリッシュメント・ファミリーである。
 もともと小泉首相は2002年1月に更迭した田中真紀子前外相
の後任に、緒方貞子をあてる人事を希望していたが、「家族の反対
が非常に強い」「米フォード財団などの残された仕事をやり遂げた
い」。そして、「何よりも、NGO参加排除問題で更迭騒動になる
日本政治の現状には失望感がある。政権が一夜にして高支持率から
低支持率に引っくり返るような状況でしょう」(毎日新聞2002
年2月2日)などの理由で、夫である四十郎と相談したうえ、2月
1日朝、福田長官に国際電話で正式に固辞する考えを伝えた。
 同じ2月1日にニューヨーク市内のホテルで開かれた世界経済フ
ォーラム年次総会(ダボス会議)の夕食会に出席した緒方貞子は、
イランのアフガニスタンへの干渉が問題になったことに対する毎日
新聞の取材に「米国があんないらんことを言うから(イランも)い
ろいろ言う」と述べ、ブッシュ米大統領の悪の枢軸発言を批判する
コメントも飛び出している。
 そして、2003年10月1日、川口外相は独立行政法人として
新たなスタートを切った国際協力機構(JICA)の理事長に緒方
貞子を任命している。外務省OB以外では始めてとなる人事である。
 小泉首相や石破防衛庁長官が語るイラクの民主化には、キリスト
教原理主義とネオコンの戦略観に支配されているとしか思えない時
期があった。しかし、この2003年10月を契機に慎重さが目立
つようになってきた。
 この国連とカトリックを結び付ける緒方貞子の起用は、小泉政権
内のバランスを大きく変えたものと思われる。その象徴的な出来事
は2003年12月の欧州、国連本部、中東への首相特使派遣であ
る。橋本龍太郎元首相は英国でストロー外相、ドイツでシュレーダ
ー首相、フランスでシラク大統領と会談し、高村正彦両元外相はエ
ジプト、サウジアラビアを訪問、逢沢一郎外務副大臣もヨルダン、
シリア、クウェイトを訪れた。そして中山太郎元外相をニューヨー
クの国連本部に派遣しアナン事務総長と会談を行っている。この時、
中山特使は、フセイン元大統領の拘束により、フランス、ドイツも
含めた国際社会が一致する機運が生まれたという認識を示し、人道
支援を念頭に国連が中心的な役割を果たすよう求めたとされている。
おそらくこの時にイラクでの戦後復興における日本と欧州、そして
国連との密約が交わされていた可能性が高い。
 創価学会という宗教票に支えられた小泉政権、そしてイラクへの
自衛隊派遣を指揮するプロテスタントと国際協力機構(JICA)
のカトリックの存在、これが現在の日本の置かれた現実である。ま
た、このことが自衛隊に対するイスラム原理主義によるテロの可能
性を高めることになることを指摘しておきたい。
 そして、宗教をまとってイラクへと向かう日本に、現在の世界の
隠された構図が明確に暗示されているのである。

■「新たな国際秩序」の行方

 2003年11月4日、アナン国連事務総長は米国が先制攻撃の
理論に基づいて単独主義的にイラク戦争に踏み切ったことで、国連
創設以来の集団安全保障の原則が揺らいだとの危機感を表明し、安
保理拡大を含めた国連の包括的改革に関する諮問委員会の新設を発
表する。この諮問委員会に16名のメンバーが任命されているが、
この16名の賢人の中に緒方貞子と米国から現在のイラク情勢の泥
沼化を予測しイラク戦争反対を表明していたブレント・スコウクロ
フト元大統領補佐官が選ばれている点は興味深い。
 そして、緒方夫妻が夫婦揃って仲良くメンバーを務めているのが、
トライラテラル・コミッション(三極委員会=旧日米欧委員会)で
ある。なお英ガーディアン紙は1999年4月13日付の記事で緒
方貞子がある秘密会議のシークレット・メンバーであるとする記事
を掲載している。これが事実だとすればこの会議に参加した唯一の
アジア人ということになる。その会議の名はビルダーバーグ会議で
ある。
 「新たな国際秩序」と「古い国際秩序」の違いを入念に検証すべ
き時が来たことは間違いない。ここには単純な「反米論」や「親米
論」などは存在しない。個人個人がしたたかに泳ぐ術を身につけれ
ばいいだけの話しである。
 共和党の一角であるリバタリアンに影響された古神道派の私自身
を「反米主義者」扱いする方々にこのコラムを捧げたい。今日も1
970年代の米国の音楽CDを聞きながら、愛すべきやんちゃな米
国の行方を憂いでいる。
 ジョン・ケリー上院議員の応援に駆けつけたベテラン・シンガー
・ソングライターであるキャロル・キングの名曲をアレンジした
"You've got a friend in John Kerry."が本来の姿を取り戻しつつ
ある米国を象徴していると思いたい。
日本の国家戦略
植草さん、元気ですか?
20040817231003


植草一秀 X 元谷外志雄 ビック対談 --- 竹中大臣は非を認めない、ごまかす、自画自賛する

2004年2月4日 水曜日


元谷●いつも色々とご一緒させていただいたり、昼食会でお会いしたりしたんですけ ど、お送りしている『アップルタウン』はお読みですか。

植草●はい、ありがとうございます。

元谷●私は植草さんの書かれたものとかお話をお聞きしまして、非常に私と近いと思ってます。今の閉塞社会というのは、バブルの崩壊から始まって、冷戦のときまでは、日本が経済成長を遂げることはアメリカにとっても利益だったけれども、冷戦が終結したらアメリカの戦略って、やっぱり変わるじゃないですか。

それに合わせて日本も国家戦略をもう一回きちんと立てて、それに対応していかないと、冷戦時代の漁夫の利を得て経済大国となった日本のため込んだ金融資産を、どう取り返そうかということで、クリントンがアメリカの国家金融戦略を発動して、日本の強みは間接金融にあり、その間接金融の強みをそぐためにどうしたらいいかと考えて発動したのがBIS規制であって、見事にそれにはまって、今こういう状況となったと思うんです。

植草●今、お話しされたように、国家としての政策とか、国家としての戦略というのは非常に重要で、現在の日本はそういう視点が欠落してしまってると思うんですね。
 まず、アメリカの対日政策、アメリカが理念を追求して、一つの真理を追究するという部分は確かにあると思いますから、それなりに国家をつくる際の考え方における正当性みたいなものを追求していくために、それはそれで尊重する必要はあると思います。一方で、国益とか、国策とかいうことを踏まえた外交上の戦略とか、対日政策というのがあって。

 戦後で言えば、最初アメリカは、日本が再び力を持たないようにというのが外交の基本で、日本を弱体化させ、産業の振興が進まないようにして、軍事力を排除した。これが終戦直後の対日政策ですけれども、そうした状況の中で、ソビエトが核兵器を開発したことが大きな衝撃であり、脅威になりました。ここから冷戦は始まり、これをきっかけにアメリカの対日政策は、基本的に百八十度転換して、日本にもう一度軍事力を持たせ、日本の産業復興を逆に今度は支援する立場をとった。これが非常に長く続いたと思いますが、それがもう一度大きな転機を迎えたのは、やはり冷戦終結ということだと思うんです。

 冷戦によっていわゆる資本主義対社会主義というイデオロギーの対立の時代が終わって、どういう時代が来るのかいろんな議論がありましたけれども、九三年の七月にサミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」という論文を『フォーリン・アフェアーズ』に発表していますが、この論文を私なりに解釈すると、二つ重要な指摘をしていて、一つはイデオロギー、社会主義対資本主義の対立が終わった後の時代は、今度は文明と文明の対立の時代になる、そしてもう一つ実は重要な指摘をしていて、それは冷戦の時代は軍事力の競争の時代だったけれども、ポスト冷戦の時代はいわゆる経済力の競争の時代に変わるんだと、こういう認識なんですね。

 特に九〇年代に入って、重要と考えられる産業分野が幾つか出てくるわけですが、一つはやはりITを中心とした情報通信ですよね。それからそれにも関連しますが、知的所有権という分野、それからバイオテクノロジー、もう一つが金融産業ということで。ナノテクノロジーも最近は入ってくると思いますけれども。
 冷戦が終わった後に、最初に発足した政権というのはクリントン政権で、クリントン政権はまさに、サミエル・ハンチントン論文をベースにして、ITやバイオテクノロジーを中心に経済力の強化を着々と進めました。

元谷●伝統的に民主党政権というのはユダヤの支持をたくさん受けている政党でもあって、クリントンはそういう意味で、ユダヤが好む、金融をもって世界支配というか、金融支配をやろうということで、九七年のアジアの通貨危機などもまさに、そういう側面があるかなと私は思ってるんですけども。そういうことがアメリカにとっては当然、東西冷戦が終わって、血と汗と金を突っ込んで勝利した、いわば戦勝国ですよ。

戦勝国アメリカにとっては、当然、その間ぬくぬくと経済成長を遂げたアジアの諸国、特に日本の一千数百兆と言われる金融資産は、日本人はもうけることはうまいけど、それを使わないでため込む習性があるということで、安心してため込ませたけれども、冷戦が終わったから、さあ、そろそろ返してくださいよと始まったのが、クリントンのユダヤの戦略に基づく国家金融戦略だと思います。

 それに気づいて、日本はこのあたりで、防衛戦に入っていかないといけないのに、小泉さんのやってることは、むしろアメリカの政策に便乗したような形でやっていて、特に竹中さんの政策というのは、まさしくアメリカにとって利することはあるとしても、日本の国益から考えると、今、このような政策でいいのかなと思う。私は非常に不安を持っている一人なのですが、竹中ショックと言われる現象、これはいかがですか。

植草●小泉政権が発足するときから、実は竹中さんの主張と私の主張は全面的に対立してたんですね。

元谷●対極でしたよね。全くそういう意味では反対。

植草●どこが一番違ったかというと、金融処理のやり方については、非常に近いものがありますけれども、一番の違いはこれは一種の外科的手術で、患部を摘出する手術なので、私の主張は手術をするのであれば、栄養と睡眠を与えてまず体力つけて、輸血とか点滴とか麻酔とか施して手術をしないと、なかなか手術は成功しないということです。
ですから、順序として言えば、まず景気回復に全力を注いで、回復を進める中で改革をやる。回復なくして改革なしなんですね。

元谷●だから、今やってることは、いわゆる不良債権の処理をしないと景気が回復しないと言ってるけど、反対に景気の回復をせずに、不良債権を処理したのではデフレスパイラルを招き、さらに景気を悪化させると…。サッチャーの政策とかレーガンの政策に見られるように、今は公共投資よりも、大幅規制緩和と減税なんですよ。減税も、広くする減税じゃなくて政策減税。

 私は常々、不動産の政策減税をやるべきだという持論を、エッセイには書かせていただいてるのです。例えば保有にかかわる固定資産税を減税しちゃうと地方の財政がもたないと、こうなるでしょう。ところが、地方の財政がもたなければ、国が補助金を出したっていいじゃないかと思います。

 やはり今あがりすぎた固定資産税を軽減しないと、不動産に魅力がない。買うときも登録免許税に不動産取得税・建物消費税・事業所税がかかって、持っていれば大変な固定資産税がかかり、年々地価が下がっていく中でも固定資産税が上がっていく逓増方式で地価が下がる情勢になってきても、反対に税金が増えていくようなこととなった。これでは不動産の魅力がないですからますます地価が下落する。地価が下落すれば、当然持ってる会社の資産内容が悪くなり、株価も下がる。だから、土地が下がり株が下がれば、銀行はそれを担保に貸しているお金が不良債権となる。

 不良債権を処理しようとして売りなさいと言えばまた地価が下がる。株式も株が下がっているときに株を売って持ち合いを解消しろと言えばまた下がる。だからみんな売りなさいと言えば、また下がる。正反対なことを絶えずやってる。私はこの大蔵省というか財務省の考え方って少し愚かではないかと思ってるんです。
 真っ当にその辺をきちっと見られていらっしゃるのが植草さんと、私はいつも思っているのですが。

◆非を認めない、ごまかす、自画自賛する

植草●先ほどのお話で言うと、去年の三月に、少人数の勉強会があって、私がそのとき発表者で、金融問題も大事だけれども、景気回復を実現しない限り金融問題の解決はないということを言ったのですが、竹中さんは逆に、金融問題が解決しない限り景気回復はないと、ですから正反対なんですね。その日の夜に竹中さんがテレビに出られて、世の中には、景気回復をしなければ、金融問題が解決しないという意見を言う人がいるけれども、これはもう完全に間違いだということを確認してから、話を始めたいと言われたんです。

元谷●ばかじゃないですか。

植草●結局、現実に起きていることは、景気回復を放棄して金融問題の処理とかあるいは財政再建だけ進めた結果何が起こったかというと、株が下がって、地価が下がって、不良債権は増大して、不良債権問題そのものはどんどん拡大しているんですね。この中でさらに不況を放置して、不良債権の処理だけ進めるというのは、結局、患者にまず断食をやらせて、それから血を抜き取って、輸血も麻酔も点滴もしないで執刀するようなものですから、これはもう、ほとんど殺人に近いものになっちゃうと思うんですね。

 ただ問題は、小泉政権もそうですし、竹中さんもそうですし、財務省もそうなんですが、これを三原則と言っていますが、まず非を認めない。それからごまかすというのがあるんですね。例えば、三十兆実際超えてるのに、見かけだけ三十兆にするとかですね。三つめは、自画自賛する。非を認めない、ごまかす、自画自賛する。

元谷●それと常に、植草さんがおっしゃる足して二で割るということをやる。

植草●最終的にはそうなんですね。

元谷●小泉さんは足して二で割る、結局知的確信がないから、二つの意見があったら足して二で割るようなことをやっちゃうじゃないですか。

植草●だから、小泉さんの人生哲学とか、あるいは経営理念のようなものは、これは多分国民は賛同する人は多いと思うんですね。厳しさに耐えていこうとか。

元谷●単純に考えると、そういう気になるんだけれど、もうちょっと深く考えると、彼はほんとうに自分の考えというのは持っていなくて、どちらかというと大蔵省の考え方に振り回されて…。私は現下の不況は大蔵省不況と言っていいんじゃないかと。もともと橋本大蔵大臣のときの不動産融資の総量規制から始まった、一連の、いわば不動産いじめとも言えるバブルの急速崩壊を促した。

 確かにバブルはけしからない。土地の値段がどんどん上がっていくことは評価できないかもしれないけれども、それ以上に、上がった地価をもとの値段まで下げたらいいなんて極論に走って、大蔵省は不動産融資総量規制をやった。日銀も金利を棒上げして、国土庁も監視区域をつくって強制的に地価を抑え込むことまでやった。そして固定資産税にプラスして地価税をもうけた。もうトリプルどころか、マルチプルいじめをやっちゃったわけです。

 あれでは、私は大変なことになるだろうと思って、持ってる資産を全部売っちゃったんです。私はその辺を先読みしたおかげで今も笑ってしゃべってるんですけど。全部売って、バブルの利益でジェット機を買って、その償却赤字と損益通算しました。そして今度は、ジェット機のレバジットリースの戻りの特別利益を利用してホテルを一万室つくろうと計画しました。金利は安いわ、建築費は安いわ、バブルの利益、特別利益が戻ってくるわで、これを利用しない手はないということで、私は今は百年に一度のチャンスのときと思っています。

ただ、私の会社はいいとしても、このままで日本はいいはずがありません。大蔵省は、何でもかんでも日銀に責任をとらすようにして、自分達のやることには間違いはないと。バブルの処理も正しかったと、その非を認めていない。すぐに処理すれば被害がもっと小さくて済んだのが、そのときやると責任者が生まれる。そこで五年たてば時効となり、また地価も上がるだろうと先送りしてしまったのです。

 さらに今はほんとうのことを言うと大変だからと言って、覆い隠す。私はもう既に、日本の銀行のすべてが債務超過と言ってもいい状態に陥ってると認識してます。もうここはドラスティックな政策を打ち出し景気を刺激して、経済をよくして、それで税収を増やす等、何かしていかないと、ただ処理するという緊縮策をやっている限りは、ますますらせん階段を滑り落ちていくだけです。アメリカもここまで日本を弱体化させるつもりはなかったのに、彼らの思う以上に、日本は自虐的に弱体化していって、最後は日本発世界金融恐慌の引き金を引いてしまうことになることを恐れている状況です。

今回の日本の不況は、アメリカにとっても心配になってきています。日本を弱体化したいと思っているうちに、本当にそれが引き金で世界恐慌になってしまうじゃないかと。

 先日李登輝さんとの対談で彼は、日本の景気をよくするのは簡単だと言っていました。「鳥小屋と言われていて台湾よりも狭い。日本の住まいを倍にすれば、大きなテレビも大きな家電商品も家具もみんな売れるじゃないか」とおっしゃっていました。日本はお金を持っているのに、もうけたお金を使わずに貯金している。それが今、ペイオフでどうなるとか、国債を買って国債バブルが崩壊してどうなるとか、こんなことを言っていますが、アメリカはもうけた以上にお金を使う、せめて日本はもうけた分使って、その豊かさを実感する。

その豊かさを実感するには大きな住まいに住む。そのためには、大きな住まいに住みやすい税制に改める。あわせて日本は法人で認めているような建物償却が個人の建物には認めていません。アメリカは自分の家を買っても、償却を認めてます。なぜなら形あるものは必ず壊れるし、日が経てば傷むし朽ちていくのは常識だからです。ところが、日本の税制は個人の持つ住まいはいつまでも取得原価なんです。アメリカですと、自宅ともう一軒の別荘までは償却を認めてます。これを早く個人の住まいにも償却を認めるようにする。

 それからいわゆる租税特別措置法によって小さな家を持つ小規模な宅地を持つ人にだけ三分の一・六分の一に固定資産税を減額し、それによって不満を抑え込んでいるような政策を改めて、すべての固定資産税を大幅に減税する。地方財政が成り立たない場合は、国税でもって補助します。それによって住宅需要が興り、景気が回復すれば税の自然増収で回収できることなので、まず景気を回復するほうに力をいれない限り、日本の景気は奈落の底に落ちます。

 だから、もうこの辺で、財務省は自分の非を認めて、今までのように日銀だけのせいにして銀行の保有株を買い取らせたり、RCCに不良債権を簿価で買い取らせるなどとんでもないことを言っていますが、非常にモラルハザードを問われるところではないかと思います。

◆米国に対する日本企業の払い下げ

植草●私は九一年の秋に中央公論に『バブル崩壊後日本経済の行方』という論文を出して、それで次の年、それをもとに本を書いてるんですが、もともとは「漂流する日本経済に明日はあるか」というのが私のつけた題ですが、結局日本のバブルの生成と崩壊の過程に相当アメリカの政策に翻弄されている部分があるんですね。

 アメリカは八〇年代前半にレーガノミックスという経済政策を行って、双子の赤字、高金利・ドル高で、二百五十円を超すようなドル高になって、保護主義が非常に強くなったので、ドルを下げなければならなくなりました。これがプラザ合意で、ドルが急落して、円高になった結果、日本では金利が低下して、株高・地価上昇になりました。つまり、日本の力がどんどん強くなるんですね。

 八八年の十一月に大統領選挙があって、これでブッシュさんが当選しますが、ブッシュさんは選挙キャンペーン中からストロングアメリカ、ストロングダラーという言い方を始めて、アメリカの力が回復するんだと言ってました。日本が強くなった背景というのはよく調べてみると、円高・金利低下・株高なので、逆に円安・金利上昇・株安にしてやれば、日本は弱体化する。そういう考えがあって、結局これが八八年以降、為替が今度は百六十円に向かって円安が進んで、金利の急上昇が始まり、株価の暴落が始まっていくわけですね。

 ですから、私は八九年の二月の社内会議で、「認識されてない重大な危機」というテーマで発表しました。それが今は円高・金利低下・株高で、証券会社は我が世に春だけど、それが逆流する時期がもう近づいてるので、それに備えるべきだということですね。それが一年後にそういう状況になったので、九〇年二月十九日のある雑誌に論文を出しているのですが、この日から株の暴落が始まっています。

 今度、九〇年代をずっと見てみると、九三年以降クリントン政権は経済を重視した戦略をとりました。日本に対して、一番ターゲットになったのは金融です。やがて日本は魅力の徐々になくなる国になってきていますが、金融のところだけ、まだかなり食べ物が残されていたので、この金融を支配しようという、つまり、今度進めてきたのが日本版ビッグバンです。これも「フリー・フェア・グローバル」というコピーも、アメリカの証券会社から橋本首相の秘書に渡された紙に書いてあった言葉だと言われてるわけですけど、日本がそれを金融や経済が一番弱くなったところで進めれば、当然そのメリットを受けるのはアメリカです。

それが今、着実に進行していますが、この中で、小泉政権とか竹中さんがとっている政策をというのは、結局今、景気をよくする政策をとらずに、不良債権の処理だけやると。実は、アメリカも特に民主党の政権、クリントン政権というのは、マクロ経済の専門家が非常に多くて、日本に対して、比較的景気重視というコメント、メッセージを発してたのですが、ブッシュ政権になってからそれが非常に薄くなって、景気はいいから不良債権を処理しろと、小泉さんが言ってる事に近い話が強くなって。そして、小泉さんはアメリカもこう言っているし、財政を使って景気を支えるのはよくない、金融処理だけやってくれと言うわけです。

 そして、景気を回復せずに、金融処理だけ進めてるのですが、その結果、株がどんどん下がるし、地価もどんどん下がるし、景気も悪くなっていますが、これを実は喜んでる人がいるんです。それはアメリカを中心とした不良債権処理業者とアメリカのファンドですよね。

元谷●ハゲタカファンドとかですね。

植草●そうすると、日本の政権がアメリカの意向を鵜呑みにして、そういう政策を進めて、日本の市場を全部根こそぎアメリカに渡すというのは、ほとんど国を売る行為になってしまってますね。

元谷●それは、国益という観点が欠けてるからですね。例の九七年のときに、東南アジアの通貨危機で、空売りされて暴落させられて結局、外資がみんな優良企業を取っちゃったわけです。韓国のサムスンなども非常に良いと言われてますが、中身は株の過半は外資が握っているのと同様に、日本も言った通りにやってよくなりましたねと。三年たったら不良債権もなくなって、景気もよくなっていいのではないか。

しかし全ての会社の過半の株主が外資となって、カルロス・ゴーンさんに似た人が社長になって、日本人はまじめな労働者として賃金をもらい、給料もそこそこでいいと言うのであれば、構いません。しかし、小泉さんの進めてることや竹中さんの言ってることは、ある意味では、国益という観点を抜いて考えていけば一つの選択肢ですが、日本は独自の国家戦略を持つべきだという観点に立つとちょっと情けないと思います。

 だから、例えば私が今年、赤坂見附で買ったビルも、第百生命の持ってたビルなんですけど、そこから買えばもっと安く買えたのに、バルクでモルガンスタンレーが第百生命の持つ資産をまとめて安く買ったのの一つを競争入札させられて、私は高く買ったんですよ。高いといってもバブル時から見ると、相当安いから買ったのですが、何故外資に儲けさせてしまうのか。日本の資産を一旦外資にただ同様に安く売って、日本人はそれを高くして買い戻すという、その利鞘はどこに入るのでしょう。これがおかしいですよ。

だから、みんなバルクで云々というと、日本企業にはなかなか参入の機会がなくて、いわゆるヘッジファンドとかハゲタカファンドとか言われる、向こうが日本の不良債権処理のために手ぐすねを引いて待ってる連中にまとめて売って大きな利益を与えて、そしてその後、日本の企業でまだ力ある勝ち組と言われるところが買い戻すわけだけど、私はそういうやり方は日本全体で考えると、ばかばかしいと思います。

植草●ほんとうに注意して見ないといけないのは、やっぱりリップルウッド・長銀方式なんですよね。ですから長銀を破綻させて、それを一種入札にかけて、手を挙げる会社は何社かありましたけれど、これは結局リップルウッドが買ったんですね。実はこのときに何社か日本の銀行も手を挙げてましたが、そのときちょうど私はワシントンに行っていろいろ情報を集めてたんですが、既に先にリップルウッドは確定していました。

リップルウッドに落とすというところは実は決まっていて、ただ直接それをやるわけにいかないので、何社か手を挙げさせてリップルウッドにやったと。結局、ここにルービンまで、すなわち財務長官まで、役員で入って報酬を受けている。コンサルタントはゴールドマン・サックスが入って、コンサルタント料をがっぽりもらってますね。

結局、今日本で進めてるのは、不況を促進して資産価格を暴落させて、企業整理をし、その後に入札方式で売り渡すのですが、その大半はおそらくはアメリカを中心としたファンドに落ちています。明治に官業払い下げというのがありましたけども、今度は米国に対する日本の企業の払い下げなのです。

元谷●要するに、日本人が日本人においしい資産を売ったらやっかみがあるので、外国人である白人とかユダヤ人などに売るのならあきらめもつくと。故にリップルウッド社であればいいだろうということで、最初にリップルウッド社ありきと考えるわけです。それを設立して三年ぐらいの会社に安売りしてはちょっと問題があるから、権威づけのために、やれルービンやら、やれ何たらという形で格好をつけて、早い話、日本の国民に納得するようなお膳立てまでつくってあげて、彼らにおいしい思いをさせてるということです。

 その構図が今あらゆるところで、バルクセール、不良債権のバルク売りとかいう形をとったり、株価をどんどん下げて、株を買い占めて、健全になったときに、ハッと見たら、株主構成割合が全然変わっていたということが起こっています。近い将来、国益という観点に立って考えたときに、彼らは売国奴じゃないかという指弾をされるときが来るんじゃないですか。

植草●まさに今はそのような図式で、本来日本の国策としては、外資による日本占領の図式をできるだけ回避するような政策努力が必要です。それは何かというと、結局景気を回復させて、安易な買収が入ってこないような防波堤を設定することなんですよね。

 私はずっと財政再建が重要だと言い続けたんですね。ただ、財政再建はアメリカの場合にも例えば九二年度に、三十兆を越す財政赤字があったのが、九八年度に黒字になっていますが、アメリカのやり方というのはまず景気を回復させて、景気が軌道に乗った段階で、かなり思い切った支出の削減や増税を行って、財政再建させました。ところが日本の場合には、橋本政権も小泉政権もそうですけど、いきなり緊縮策に踏み込んでいって、経済を落とし込んでしまうので、税収が落ちて財政赤字はむしろ膨らんでるわけですね。ですから、景気回復なくして財政再建なしと私は言っているのです。

まず経済という木をしっかりと育てなければならない。財政というのは経済という木が生み出す果実をもとにして行う活動ですから、実ができたらもぎ取って、芽が出てきたら摘み取って、葉っぱができたら刈り取っていたら、木が枯れてしまいます。その発想がないんですよね。

◆土地の譲渡と取得に関する税制を五年間凍結し、ゼロにし、固定資産税を大幅減税する

元谷●日本は官僚社会なんです。官僚による官僚のための官僚の国家ではないかと私はよく言ってますが、天下りをもって自分の権益、利権を退職後もずっと省ぐるみで、先輩の面倒をみれば自分がまた面倒をみてもらえるという、そういう官僚が生涯過ごしやすくするために、壮大な無駄をやっている。これを直すには大幅規制緩和をどんとレーガンやサッチャーのようにやる。これをマスコミは支援しなければいけないのに、その辺のことをわかってないのか、それとも自分の利害からいったらマイナスになるのか知りませんけれども、第四の権力としての立場を放棄しています。

 世の中に、官から民に売られるもので談合のないものはなかったわけだし、今もないわけです。それを必要悪というような形で、マスコミもほとんど指弾せず、トカゲのしっぽ切りでいつも終わっているじゃないですか。そして公社・公団のときに必ず天下りの人がいて、その関係会社が膨大な利益を出しながら、本体は赤字だから、支援をしないといけないということで税金をつぎ込み、無駄なことばかりですよ。

 そういうことを考えると、公共工事でやるべきことは日本にはたくさんある。例えば、大深度地下に、個人や法人の法的権限の及ばない法律をつくって、地下六十メートル以下を公共の空間として、そこに循環道路でも横断道路でも、首都圏の交通渋滞を解消するものをつくるべきです。今でもクモの巣のような電線を張りめぐらせているような町が多いけれど、電線の地中化とか、水道・ガス・公共下水道だとかまとめて共同溝にしなければいけません。

 先日、ラスベガスに行って、あの町並み、道路の幅の一つ一つに凄さを感じました。それを思ったら日本は、これでどこが経済大国なのかと。全然、実感として経済大国でないじゃないかと。ただ単に、給料も高いけど物価も高いだけで、差し引きは何にもいいところがない。高物価非効率社会で、数字だけ見ると、アメリカの平均的なサラリーマンよりも日本の平均的サラリーマンの給料がそこそこいいじゃないかというから、何か安心するけど、ガソリン買ったら倍も払わなければいけないし、飲んでも食べても高く払って、いつも貧しい思いをしている。満員電車に揺られ、あまりの渋滞で、まるで駐車場のような高額有料の首都高に乗ったりと。

これはやっぱりきちんと五年後、十年後を見据えた国家戦略・国家ビジョンを、植草さんとかを中心にすすめるべきです。思い切って、外国人を入れてもよい。それは白人でもユダヤ人でもアングロサクソンでもよい。明治のときはそういう人が来て、都市計画や国家戦略をつくったじゃないですか。今、政治家には大変失礼ですけど、そんなに聡明な人はいないですよ。私が会った李登輝さんの方がよっぽど頭いいですよ。

だからそういう意味では、政治家も納得する世界基準で、識者というか賢者を集めて日本の国家戦略本部みたいなものをつくる。ビジョンを示して、そのためにこうすると言ったら、国民も納得するし、マスコミもついてくる。それにはまず豊かさの実感できる社会をつくる計画が必要です。人間、自分の住む家が豊かでないと…。一生のうちに一番長く滞在するのは結局みんな自分の家です。その家が貧しいから豊かさが実感できない。その家を豊かにするのには、家のスペースを大きくする。大きくしやすい政策、それをやれば景気回復には一番です。

 それといわゆるインフラ投資です。公共投資でもって、私権をある程度制限してでも、例えば道路の立ち退きの問題とか、それから成田の飛行場拡張が三〇年経ってもできないでいるのはナンセンスです。そういったことができる法律を改正することによって、まだまだやるべき公共事業もでてきます。今やってるダムがどうだとか、地方に道路がどうだというのではなく、東京に相当まだやるべきことが残っていますよね。豊かな日本、これを目指す政策を実行できる政権を選んでいかないと、今のままでは期待が持てないと思います。

植草●私も、元谷さんがおっしゃることはほぼ賛成です。構造改革も大事なんですが、別に緊縮財政をやることとか、会社をつぶすことが構造改革じゃなくて、私はよく三つ言うんですが、一つは官と民の関係ですね。官が上にいて民が下というのは千六百年体制と言ってるんですが、戦後の憲法は一応国民主権なので、水平の関係にしなければならない。それをわかりやすくするのは天下りの撤廃なんですね。それをまずなくす。それから企業の活力を高める一番の方法はやっぱり競争促進なので、規制を撤廃する。

元谷●資本主義市場経済社会というのは競争社会なんだから、その原則にのっとるということですかね。

植草●はい。競争があれば、どんどん変わるんですよね。それからもう一つは、公共事業です。何が問題かというと、百お金が出てるのに、工事に五十しか回らずに、五十がどこかに消えるというこの構図が問題で、鈴木宗男議員が悪いとかいうのではなしに、その構造を直さなかったら何の意味もないんですよ。そういう意味の改革は実はあんまり進んでません。結局、財務省が力を持って、財務省の関係する天下り機関の特殊法人などは、ほとんど何も手がついてない状態なんですね。逆にいうと、財務省にとっては国土交通省とか、郵政省が目障りな存在で、ここだけターゲットを当ててやろうとしてるんですよ。

 結局、財務省の王国を今、築きつつあるのがまさに小泉政権で、実はいろんな問題があります。一番問題の中心になるのは財務省で、それまで経済政策の決定権を持ってきたところなんですが、実はほとんど経済政策の専門家がいないんですね、法律や行政の専門家はいるんですが。この人たちが依然として自分たちは何でもできるという過信の上に立って政策を決めるから何度でも失敗してしまっている。

今であれば、特に景気をよくするための政策で、減税というのは一つあると思うんです。公共事業は、中身を変えれば必要なものはたくさんあるわけです。減税も、例えば個人消費を刺激するとか、設備投資を刺激するということも大事です。もう一つは、やっぱり住宅が我々の豊かさの実感という面で非常に重要です。土地に関連した税制の、先ほども出てきた不動産取得税とか登録免許税とか固定資産税とか譲渡所得課税とか。

元谷●ダブル課税とかトリプル課税があるじゃないですか。登録免許税の他に不動産取得税を取って、建物消費税も取って、事業所税の新増設税も取って、色々ダブッててすっきりしない。

植草●私はこれは、五年間凍結でもいいと思ってる。全部ゼロにするぐらいですね。

元谷●そう、ゼロ。その間、地方の税収が減少するのであれば、別の形で補てんすればいい。それから地方も国も小さな政府、金のかからない政府にしないと。今は石を投げたら議員さんに当たったり市役所の職員に当たったりするようなぐらいで、小さな町に行くと、その何割かはほとんど議員か村役場に勤めてるか、そこに嫁に行ってるか、みんなそこにつながってるような、そういう社会になっているじゃないですか。だからちょっと合併して減らして、小さな町にそんな何人も議員も必要ないですから。国会だって、衆議院、参議院の数があれだけ必要なのかという問題もあるでしょう。

植草●ですから、日本に今、三千二百程度の地方公共団体がありますが、総選挙の区割りが三百ですから、日本の地方公共団体も三百にすれば…。それで、地方議会の議員と首長や市長、村長、町長、さらに国会議員を合わせると、日本に大体七万人位いるんですよ。

元谷●おやおや。

植草●おそらく、七千人でも何の問題も生じないと思うんですが、もし三百に地方公共団体を統合して、地方議員などを十分の一に減らしたら、それだけ膨大なコスト削減になるんですね。ですから、民間がリエンジニアリングをやっているときに、それをやらない手はないと思います。

 ただ今の日本は大きな問題が二つあると思います。一つは李登輝さんと対談された中でも出てましたが、結局今の日本には官僚もそうですし、国会議員もそうなんですが、「私」と「公」というので、「私」しか考えてない人ばかりなんですね。本当は「私」を離れて、「公」で考える人が政治とか行政をやらなきゃいけないんですが、それがあまりにも減り過ぎてるのが一つですね。

それからもう一つは、国民の世論調査などを見ると、国民の側も物事の本質を見る力をかなり失っているというか、見かけの顔のよさとか言葉の歯切れのよさとか、パフォーマンスだけにいってしまっている。ワールドカップのときに、ベッカムの人気が出ましたが、その感覚で政治まで決めてしまったら、国は滅んでしまいます。

◆教育制度に問題がある

元谷●それは教育制度に問題があると思います。今の偏差値教育はデジタル記憶勝者を良しとしていますから。

 みんなそれぞれが本来は、自分の強み、すなわち私はこれは強い、私はこういう能力がある、私にはこういう特徴があるとみんなが自信を持って生きられる社会から、偏差値というものさしで、みんな自信をなくしてしまいました。良い学校を出たあの人が言ってるなら間違いない、大蔵省が言ってるなら間違いないと、みんなその辺にシフトしていくでしょう。

 私などはあまのじゃくですから、どちらかと言えば、変わり者と言われています。それは、一切権威を否定して、世界六十四カ国を回っていろんな人に会って、いろんな話を聞く。日本をちょっと離れてみるとわかるんです。この国民をつくった教育がおかしいから、まさしくアメリカが、再び日本が白人社会に刃向かっていかないように日本を弱体化しようと思って、貧しい農業国に転換させる為にやったことがここまでうまく効くとは思わなかった。アメリカの期待以上に効いて、占領下に与えた憲法をいまだに後生大事にするのが当たり前になっています。

 これがおかしいのであって、新聞社もマスコミもその辺に責任があります。教育の問題、マスコミの問題、これを改めていかないと、学校で違うことを学んで、いざ社会に出てみたらマスコミが違うことを報道してたら、違うものと違うものを合わせたら正しくなってしまったら、これは正しいものだと思い込んでしまいますから。この思い込みがだんだん自虐的になり、いつまでも謝り足らない。もっと謝らなければと謝り続ける。

韓国の人ももちろん、中国の人でも日本はおかしいと、ちょっと一歩離れるとそう言ってるんです。ところが表に立つとけしからん国だ。戦争のときの従軍慰安婦がどうとか南京虐殺がというたびにODAを…。だから、彼らは金をどうやってせしめるかというだけでこう言っているのに、それに乗っていつまでも謝罪外交しているのは情けないことです。

植草●そうですね。今まで結局、日本の教育は、評価の尺度が非常に画一的に、偏差値だけなんですね。その偏差値というのは何かというと、ほとんど記憶力と算術能力だけなんですね。ですから、これは能力の一つですけど、ただ、新しい問題が出たときにどういうふうに考えるかとか、あるいは複数の選択肢があったときに、どういう基準で選ぶとか、そういうのはほとんど無関係で、記憶力と算術能力だけあれば、偏差値は上がるんです。これは一つの能力ですけど、ある断片でしかないのに、その尺度だけで全部序列をつけてきたのです。

もう一つは日本の教育というのは、結局できるだけ個性を持たないようにして、平均的なことについてはうまくできるようにして、上の言うことには逆らわないように、軍隊のよい兵隊になるような教育なので、そういう人たちは結局権威に弱いんですね。権威に弱いから、格の高いもの、だからみんな勲章を望んだりとか、それにみんな迎合してしまって、マスコミでさえ権力になびいて報道するから、一色に染まってしまっています。

元谷●そうなんです、それが駄目ですよね。だから、ディベートをやらないのが一番悪いところなんです。本来教育というのは、何が真実かというのをディベートを通じて探し出さなくてはならないのに、先に答えありきで、その先の答えを暗記して、暗記力がいつまで持続したかというテストだからだめなんですよ。本来は記憶力も能力の一つであるならば、創造力や、自分を表現する表現力も能力になるはずです。

だからいろんなものを自分のものとして、一つの思想体系というか価値体系というか世界観といいますか、そういうものをつくり出して、自分を表現する能力、これはやっぱりディベートで鍛えていかないと身につきません。だから、日本の外交官というか外務省の人は偏差値教育で上がってきた人でほかの国と議論した所で、中国の十三億人の中で口げんかのうまい人間が勝ち抜いて外務官僚になってくるんだから、全然歯が立たないわけです。

 ですから外務省のいろんなことがぼろぼろと報道されて、初めて日本の国民は、外務省とはひどいところだと気づきます。ところが、もっとひどい人間が財務省にいますが、気づいてないだけなんですよ。だから、外務省がひどいのではなく、外務省はそういうふうにぼろぼろ出たからひどく見える。でもさらにひどいのは、最も高い偏差値の学校教育を受けてる人間がたくさんいる、財務省ですので心配してるんですよ。

植草●例えば、歴史の教育でも、ドイツの子供たちは、手を挙げるときに手を挙げないんですね。手を挙げるのはハイル・ヒトラーになるので、指を挙げます。その意味を学ぶのが歴史の教育なんですが、日本の場合には、一一九二年に鎌倉幕府ができたとか、年号を覚えてるんですよ。ほとんど無意味なことをやってるわけですね。

 もう一つ言えるのは、国家の尊厳というか、例えば小泉さんが平壌に行って、その場で、結局八人死亡という情報が知らされました。ただこれが何かというと、完全に国内で行われてる犯罪、すなわち誘拐殺人に近いようなものです。

元谷●オウム真理教と一緒じゃないですか。オウム真理教の麻原に会いに行ったようなものじゃないですか。

植草●そうなんです。麻原に会って、過去にうちの若いもんが何かやってたらしいけど、おれは関係ないと言ったら、それはよく認めてくれたと握手して、経済援助の約束にサインしてくる。これはあり得ないんですよ。だから平壌宣言などを見ると、拉致の拉の字もないし、それについて謝罪の謝の字もないし、一方であるのは、新たに戦前の日本の謝罪と、それから日本の経済援助だけなんですよ。こんなことに署名してきたわけです。

元谷●席を蹴って帰ってくるべきだったということですね。

植草●ええ、私は小泉さんが帰って来た日に、即刻退陣の大合唱になっていいと思って、そういう記事を書きましたけど。

元谷●そしたら逆に支持率が上がって。(笑)

植草●それは国民の側に問題がありますけども、逆に、だから私はそれは署名せずに帰るべきだったと言いました。

元谷●大体北朝鮮には行くべきじゃなかったと思います。安否を知らせてもらうのに一国の総理が出向くなんて、まったく情けないことです。

植草●それは何かというと、結局国のためじゃなく、個人のためなんですよ。すべての行動が、自分が次官になるために一発大逆転をしなくてはならないという…。

元谷●今の外務省批判を避けるために。

植草●ですから、国家として、国民として、国家の尊厳みたいなのを重んじる国民の風土がなければいけないし、上に立つ人は少なくともそういう判断力を持たずに行ってはいけない。署名せずに蹴らなくとも静かにいすを引いて。(笑)

元谷●いや、やはり席を蹴って帰ってくるべきでしたし、そもそも行くべきでもなかったのではないですか。

植草●行くのはいいとしても、あそこで署名したことの言い訳にはなりませんね。

元谷●どうして日本はこういうていたらくな国になったかというのは、先の大戦の総括ができてない、ここに問題があると思います。先の大戦が非常に悪いことをした、こればかりを教えられて、学校、報道、テレビ、新聞などでそう教えられるから、みんな自分のおじいさん、お父さんは大変な悪い国民で悪いことをしたんだと思ってしまう。自分の民族に誇りが持てない。歴史に誇りが持てない。そこから自虐的な発想、自虐史観とか全部始まっているのです。

 では日本が戦争を始めた時、一九四一年十二月に、世界で、有色人種で独立国家が幾つあったのか。アジアでは日本とタイですか。アフリカではエチオピアと南アしかなかったらしいですよ。今、幾つありますか。あるいは日露戦争で、日本がロシアに勝ったことが、アメリカがオレンジ計画を始めた原因でもあるし、いわゆる白人種であるヨーロッパやアメリカが震撼したわけですよ。これで将来アジアがみんな、日本の勢力下、有色人種の勢力下になってしまうということから日英同盟が破棄されたわけだし、破棄するようにアメリカが巧妙に仕込んだわけですよね。その辺から歴史をきちっと教えていくと、こんな自虐的な国にならないです。

 私は、冷戦終結までは間違っていたとしてもよかったと思っています。今の憲法を守ったり、アメリカの半植民地状態だったかもしれないけれども、冷戦まではよかったと。しかし、それはアメリカの利益に沿って日本が戦後の経済復興を遂げていく、ある意味ではうまく利用したとも言えるので、それはそれで容認できることです。しかし、その後今もってやってることはとんでもないと思います。このまま行くと、骨の髄までしゃぶられてしまいます。この辺できちんとした国家観と国益というものを持った政治をやったり、外交をやったりしないと、大変なことになります。ここのところは警鐘を打ち鳴らしたいなと思っているのです。

植草●私もそう思いますが、ただもう一つ言えるのは、第二次大戦などを見ると、第二次大戦の後半というのはもう戦況が相当不利になってきたんですよね。ですから、我がほうの被害は甚大だったんですが、毎日、我がほうの被害は軽微なりという報道をした結果、二十年までずれ込んで、二十年になって東京も沖縄も広島も長崎も全部やられてるんですね。もし事実を正確に公開していれば、十九年にやめてた可能性は非常に高いと思うんですね。

 それは今も実は一緒で、過去十年間何度か景気対策をやりました。景気対策をやると株も上がって景気もよくなるけども、結局時間がたつともとに戻って、後には財政赤字とむだな公共投資の山なので、これをやめようという話にみんな洗脳されてしまってるのです。しかし、事実は、景気対策をやって浮上したときに、九六年とか二〇〇〇年はそうですけど、そこで先を急ぎ過ぎたがむしゃらな緊縮財政を始めた結果、すべてもとに戻して突き落としてしまったんですね。

この事実をもし人々が知れば、景気対策が悪かったのではなしに、景気対策を打ってかなりよくなったときに、がむしゃらな緊縮財政を財政再建原理主義と言ってますけども、この原理主義で経済を破壊したということに問題があるというのはすぐにわかるはずなんですね。ところが情報が操作されて、間違った情報が流布されてるために、国民は間違った情報をもとに、「欲しがりません、勝つまでは」と言ってる間に株が八千円になったり、七千円になったりしているということになってるわけですね。

◆アメリカの豊かさと比べるとまだまだ日本は遅れている日本の再武装の名分

元谷●本格的によくするのは何なのかと言うと、これは規制緩和であり、投資減税とか、不動産政策減税とかやって本格的に豊かさの実感できる社会をみんなでつくっていく、そのためであるならば、国債が六百六十六兆、もう超したのかもしれませんが、三十兆の枠にそうこだわらなくてもいいと思います。例えば東京の地下に大循環道路、横断道をつくることがその後百年、二百年にわたって、みんなの便利を買うのであれば、良しとすべきです。

自分の代の負債を孫の代に払わせていいかという説がありますが、私は孫の代に使うものは思い切ってやればいいと思います。例えば箱物つくって、維持してるだけで赤字で、十年か十五年たつと粗大ゴミと、こんなものをつくるのはよくないけど、恒久的に使える大型の都市改造計画、それにお金をかけるとすれば、それはむだ金じゃない。

 アメリカの豊かさと比べると、まだまだ日本は遅れてるし、ヨーロッパの豊かさと比べてもまだまだ日本は豊かさは実感できていないと私は思うのです。真に豊かさを実感できる社会をつくるべきでしょう。そのために今の財務省のやってる政策はおかしいし、私の財務省の友人、当然東大の法学部卒ですが、彼が言うには財務省は間違ってない、政治家が官僚を使うのであって、政治家が方針をきちっと出せば官僚はきちっとやりますよと。

 だから私は政治家はほんとうにしっかりしてほしいと思うんですよ。日本は、政治家は官僚の言う通りにやればいいのだというのは逆さまなんです。結局、世論調査でみんなが望むことをすればそれで良いと。まさに世論調査政治家はポピュリストなんですよ。だから本来、私はこうしたい、ゆえにこうしたい私を支持する人は私に一票くださいと。それが集まって政党となって、それが多くなって政権をとって、それが官僚を使うという、これが本来の民主主義の姿です。本来の民主主義をやってないことが日本のおかしな所です。だから非常に情けない国なんですよ。

◆日本のリーダーは読むリーダー

植草●本来リーダーっていうのはLで始まるリーダーですけど、日本の政治家のリーダー(leader)っていうのは官僚の書いた原稿を読むリーダー(reader)ですね。

元谷●うまいことを言いますね。初めてききました(笑)。readingのリーダー。

植草●例えば公共投資が非常に多いと言いますけども、国債を発行して、それでつくったものが将来百年、二百年使えるものであれば。百年、二百年で返済していくのは当然なんですね。
 ところが一方で、六百兆の国債は膨大だと言いますけれども、最近、ここ一、二年だけ見ても、二万八百円の株価がもう八千五百円ですよね。この間に、時価総額をどれだけ安くしたかと。それで株式と地価を合わせれば、多分、二百兆から三百兆ぐらいには目減りしてきてるのです。ですから、そういう全体像を見ないで部分だけ走って、見かけだけ追うということを進めたら、ほんとに国は滅んじゃうと思うんです。

元谷●私もそういう不安感は最近、特に抱いてますね。だから、いわば小渕さんはそのことにある程度気づいてケアをしてきたけれども、森さんもよく頑張ったんですけれども、今の首相になってからは、特によくない。小泉さんは、ちっともわかってらっしゃらないんです。これをわからせてあげるブレーンが必要です。それが先生の仕事ですよ。

植草●そうですね…。会社でも、会議の多い会社と上司の顔色ばかり見てる会社は悪い会社と言われますけど、今の政権というのは、結局、上の人が自分の耳に聞こえのよい話だけ好むので、みんな何かおべんちゃら使ってるような人ばっかりになってますし、何かあるとIT戦略会議とか産業局長会議とか言っています。

 特に金融問題の処理などは、人によって意見が全然違うんです。その人たちが、会議をやったら意見が落ちるところに落ちるかというと、邪馬台国が九州にあったと主張する人と近畿にあったと主張する人と会議をやっても。

元谷●そうはなりませんよね。

植草●ほとんど意味ないわけですからね。

元谷●だから、会議もほとんどディベートをやってないでしょう。ディベートをやらない会議で、みんなが自分のものを持ち合って、それを出し合いっこして帰ってくるのでは会議にならない。

植草●そうしたら、結局足して二で割ることになっちゃうんですよね。

元谷●ですから、やっぱりもうちょっと日本のリーダーの選び方を変えていかないと、大分この先、こういう時代が続くのではないかという不安感がありますよ。

植草●先ほど言われた日本の国家戦略とか、国家のビジョンとか、それを有志が集まってつくるべき時期ですよね。

元谷●そういう時期に来ていますよ。

 私は、まだ歴代の総理では中曾根総理ぐらいは国家を背中に背負ってるというか、ある程度、物のわかる、そして国を愛し、国益を考え、国民のことにも思いをいたす。でも今の、ここのところ年がわりでかわる総理は、その辺がちょっと希薄な気もしますよね。

 アメリカはいろんなシンクタンク、きちっとしたのが幾つかあります。だから、日本ももうちょっとその辺のしっかりしたものがあって、そして政権交代のときにバンとかわって、次はこっちの考え方でいこうとか、それは次のときにおかしいからこうやってと切磋琢磨をしていくようにしないと、首のすげかえはあっても官僚はかわらない。

その官僚が日本で唯一のシンクタンクで、そのシンクタンクというのは世界を見てないじゃないですか。単に先輩と後輩との付き合いかたしか知らない。全然、世界を見てない、世界とディベートしてない、そういうシンクタンクが唯一あって、彼らは選挙で選ばれたわけでもないのに、何となく自分が国を治めてるような自負心だけは持ってるじゃないですか。ここまで官僚の悪口を言っていいのか分かりませんけど。(笑)

植草●いずれにしても、やっぱり今の日本の弱さ、国民の物を見る力が落ちてるのと、もう一つ、やっぱり野党が弱体化し過ぎですね。

元谷●ちょっとしっかりしてないですね。寄り合い所帯で、選挙に当選するためのボランティア組織なんですよ。ということはガラガラポンやらないと、自民党も民主党も両方とも党の中の幅が広過ぎて、足して二で割る的な政策しか出せないところの集まりでしょう。それと公明党を取り込んだじゃないですか。結局は、キャスティングボートを握る党の政策を取り込まないと、政策が決まらないじゃないですか。自民党対民主党じゃなくて、公明党対民主党という格好になってるから、ますますややこしくなってるんですよ。

 政権をとるための数合わせ、選挙に上がるための数合わせ、みんな数合わせで、政治家になった日から次の選挙に上がるためにどうしたらいいかということしか考えてない。

 私は、ブッシュさんの次の選挙に勝つためだけにイラクと戦争をするのではというふうに先月号のエッセイで書いたけれども、どこの国もそうなのかもしれませんが、特に日本は情けないですよね。だから、植草さんが発起人となって、意識ある人を集めて、きちっとした提言をして、だれが見ても、今の混迷な日本を脱却するにはこれしかないという理論をきちっと固めて、公開討議の場に付す、そして今の官僚、特に大蔵を中心とする彼らと議論する。要するに、どちらかを選べというぐらいにまで理論武装する。何か機会があれば、リチャード・クーさんなんかもいい考えをお持ちでもあるし、日本人だけでなくても、世界にはいろんな賢者もいます。アメリカなどにも植草さんの友人は多いでしょうし、そういう人と組んで何かできないかなと私はちょっと思ってるんです。

植草●代表のネットワークなどは、そういうものを組織するときには非常に有効でしょうね。

◆核を持つ中国を民主化へとソフトランディング

元谷●だから私は、そういう意味でアメリカと一対一の関係よりも、日本とアメリカの関係を、例えば台湾とか韓国、李登輝さんとか、金完燮さんとか、もっと言うと先日モンゴルの首相にも会ったし、そしてフィリピンのデベネシア下院議長とも会談しましたし、シンガポールの胡暁子さん、例のタイガー・バームの彼女と一緒に食事をしながら意見交換したのですけど、いわゆるずっとこの辺の中国を取り巻くベルト地帯が、今後中国の膨張と崩壊、内乱分裂の危機をどう防ぐかと。要するに中国は分裂する、これはもう時間の問題です。

 なぜならば、十三億もの人間が一つの独裁政権のもとでいつまでも続くはずがない、民族も違い、貧富の差もだんだん拡大している、これは続かないでしょう。

 だけど彼らは核を持っている。核を持つ中国をいかにソフトランディングさせ、民主化していくかということが、今、我々にとって一番大事なことだと。そのためには、それに対抗するパワーとして、日本は憲法を改正して、日米安保条約を平等互恵で対等なものに改正するとともに、東アジアを中心とする一つのパワー、相互安全保障条約をつくって、それとアメリカとが同盟関係を結ぶ。いわゆるNATOとアメリカ的な関係を、この東アジアに日本を盟主としてつくるべきだと。

そのパワープレゼンスが中国のソフトランディングを促すのではないかと論じあいました。私などは、本来はそんな役柄じゃないんですけど、そういう思いをちょっと彼らに話してるんです。 そういう意味で、植草さんを中心として、日本の国益を考えて、日本の将来を考えて、このままではいけない、何とかしなければいけないという人を募っていく時期に来ています。

 ところで、今日は大変長時間になってしまいました。最後に「若い人へのメッセージ」ということで締めさせていただきたいと思いますので、一言お願いします。

植草●私は日本に生まれ育って、日本が好きな人間の一人ですけれども、日本という国は、色々な面で優れている部分を持っていると思います。人間性だけを見ても非常によい人が多い国ですよね。

元谷●ええ、そうですね。

植草●伝統から来る行動様式も、立ち居振る舞いも、他国と比較しても非常に質の高い国だと思います。

 それに加え、能力もあるし、勤勉でもあるし、それから非常に潜在能力の高い国だと思うんです。しかし、今の日本は色々なものの組み合わせが、すべてアンバランスになっていて、非常におかしなことになっています。これをもう一度立て直さないといけない。似たような状況で、江戸から明治に移行する過程で維新の動きがありましたけれども、これも若い人が中心になって、「私」を離れて「公」のために行動するという部分が非常に強く、それが国をある一つの方向に導いた原動力の一つだったと思います。

 それから、国内で内戦をするよりかは、和解をして国としての体を守ろうという考えは、無血開城などにつながるわけです。やはり国家の尊厳とか国を尊重するという意識が強かったと思うんです。だから、自分も含めて若い人間が、「私」を離れて日本のためにどうしたらいいかと考えて、エネルギーを注いである運動を起こせば、次の時代を切り開くことができるんじゃないかと思うんですね。

元谷●日本はやはり国難があると団結する。そういう意味では、江戸末期の、開国を求めてペリーが浦賀にきたり、いろいろな欧米列強の動きが、ああいう形で日本に明治維新をなし遂げさせたと私は思うんです。

 ところが、今の日本を考えてみると、これだけ不況と言うけど、給料は下がってないです。物価が下がってるんで、今の状況を深刻に思う人の数が少ないんですよ。だから、もしほんとうに失業率が一〇%を超えたり、給料が例えば三割も四割もカットされるようなことになると、人々の意識は大きく変わります。

 だから、そうなって意識が変わるようでは情けないのですけど、何となく私は、このまま何も手を打たずに金融システムが崩壊して、銀行がばたばた潰れだすという話になってきたときに初めて国民の目が覚めると思います。でもそれでは遅いから、その前にそうならないような手をどう打つかという考えでやっていかなければいけないと思います。

 だから、若い人が余りにものんびり構えていては、危機が迫ったときに、過去は若い人が立ち上がったよと、今、もっと若い人がしっかりしていかなければならないよと私は言いたいです。

植草●今の日本は、平和ぼけとか豊かさぼけで、眠っちゃってる人がほとんどかもしれないですね。

元谷●結局、背中に土性骨がなくなったんです。世界市民になってしまい、日本人という意識がない。そこがやはり問題です。だから、国益も考えなければ何となく世界市民の一人という、ある意味で平和で、ある意味で豊かで、ある意味では結構いいことづくめなんです。

 でも、いいことは永遠に続けばいいことはいいことだけど、そのしっぺ返しというのがあるとするならば、ちょっと考えないといけません。私が知っている中で、いいことばかり続いたという歴史はない。いいことが続けば何かある、この辺で備えあれば憂いなしで、ちょっと考えないといけない。

冷戦後の四十五年間の日本の経済成長は、アメリカの利益にもかなっていたからさせていただいたんだけど、今の日本はアメリカにとって主要な経済的ライバルです。その位置づけをきちっと理解すれば、安心してはいられません。その安心してはいられないという自覚を若い人は持つべきだと思います。そういう意味をきちっと解析して政治家にも官僚にも国民にも訴えられる、建白書を出して、それをもとに議論を起こしていけば良いと思います。

 かつて二十一世紀政策協議会というのがありましたが、あの程度の議論じゃなくて、もっとグローバルな世界基準で日本、それからアジア、世界というものを見た観点からの議論ができればなと思ってます。ぜひひとつ、またいい知恵を貸してください。
 きょうは、いろいろ忙しいところ、ありがとうございました。

植草●どうもありがとうございました。


ビックトーク 日本の国家戦略 植草一秀X元谷外志雄
ジョン・ケリーのユダヤ的出自


中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

 前稿「ジョン・ケリーをめぐる女性たち」
http://www.yorozubp.com/0402/040221.htm
を書いたあと、ケリーに関するより詳しい情報を入手することができたので、それに基づいて前稿に補足と訂正を行ないたい。主たる出典はインターネット百科事典Wikipedia: http://en.wikipedia.org/wiki/John_Kerry である。たいへん興味深い詳しい情報なので、英語のできる方はぜひご自分でお読みいただきたい。そのほかの情報源もまじえて、以下にケリーの出自について述べてみたい。
 ジョン・ケリーはユダヤ人の血をひいていた。
 ケリーの父方の祖父は、フリッツ・コーンというチェコ(当時はハプスブルク家オーストリア帝国の一部)生まれのユダヤ人であった。このことを明らかにしたのは、今年2月2日の『ボストン・グローブ』紙である。グローブ紙は、2002年、地元出身の上院議員が大統領選に出馬する予定と聞いて、ケリーの先祖の調査を行なったのであった。
 ケリーという名はアイルランド系だと思われていたが、祖父のフリッツ・コーンがオーストリア在住当時、カトリックに改宗し、フレデリック・ケリーと改名したのである。フリッツは1873年生まれであるが、彼の生きた時代は、ヨーロッパで反ユダヤ主義が高まった時代であった。シオニズムの提唱者テーオドール・ヘルツルは1860年生まれ。ヘルツルの死後、中欧におけるシオニズムの指導者になったマルティン・ブーバーは1878年生まれである。
 ハプスブルク帝国の主流派宗教はカトリックであった。反ユダヤ主義を避けるために、コーンがカトリックに改宗したのは当然の選択であった。1902年にアメリカに移住したフレデリック・ケリーとその妻イダは、子供をカトリック教徒として育て、自分たちのユダヤ的出自を隠蔽した。ヨーロッパの反ユダヤ主義に苦しんだユダヤ移民の中には、こういう人々が少なくない。
 フレデリックは、息子リチャード(ジョンの父親)が6歳のとき、銃で自殺した。原因は事業の失敗である。
 父を失ったリチャードの幼少期、青年時代は苦労が多かったものと思われる。そのリチャードがどういうわけか、名家の令嬢ローズマリーと結婚することができた。
 リチャードの妻、つまりジョンの母は、ローズマリー・フォーブス・ケリーといい、フォーブス家の娘としてパリで生まれ育った。フォーブス家は、雑誌『フォーブス』でも有名な大財閥である。二人は、リチャードがブルターニュ地方のサンブリューという海岸の町を訪れたときに知り合った。
 母方の祖父のジェームズ・グラント・フォーブスは上海生まれの銀行家で、その妻はマーガレット・ティンダル・ウィンスロップである。ウィンスロップ家は、イギリスからマサチューセッツに入植したピューリタンの一族で、アメリカの名家中の名家の一つである。この家系は、フランクリン・ルーズベルト、ジェーン・アダムス、カルヴィン・クールリッジ、ブッシュ大統領一族とも縁戚関係になる。
 ケリー家とフォーブス家の家格の違いを考えると、この結婚はきわめて不自然な感じがする。二人がなぜ結ばれることができたのか、その間の経緯は今のところ謎である。
 ジョン・ケリーが親戚から、自分の祖母のイダがユダヤ人であるということを知ったのは1980年代の終わりであった。彼は自分の出自を知りたいと望み、オーストリアに行ったおり、ケリーという名のユダヤ人を捜したが、当然見つからなかった。1990年代の終わりになってジョンは、癌で死期が近づいた父リチャードから、祖父が自殺したことを教えられ、衝撃を受けた。
 不思議なことに、ジョンの弟のキャメロン・ケリー(法律家)は、ケリー家のユダヤ的出自を知らずに、ユダヤ女性と結婚し、すでに1983年に自分もユダヤ教に改宗していた。先祖の血に導かれたとしか言いようがない。
 ちなみに、民主党の候補者であったリーバーマン、クラークもユダヤ系。ディーンは夫人がユダヤ系で、子供はユダヤ人として育てているとのことである。アメリカにおけるユダヤ系の強さにはあらためて驚かされる。
http://www.dsz-verlag.de/Artikel_04/NZ09/NZ09_2.html

 父リチャードは第二次大戦中はパイロットに志願したが、戦争後は外交官になった。ジョンは父とともにスイスとフランスで数年過ごし、フランス語に堪能になった。
 学生時代、ケリーはジャックリーン・ケネディの妹とつきあい、彼女を通してケネディ大統領と個人的な面識を得た。ジョン・フォーブス・ケリーのイニシャルは偶然にもJFKで、ケネディ大統領のそれと同じになる。彼はJFKと署名するほど、ケネディに憧れていた。
 アメリカの大統領はこれまで大部分が、白人男性のプロテスタント、いわゆるWASPで、カトリックのケネディ大統領が唯一の例外であった。2000年の大統領選挙で、ゴア候補がユダヤ系のリーバーマンを副大統領候補に指名したとき、大きな驚愕を招いた。もしケリーが大統領になれば、アメリカ史上初のユダヤ系大統領ということになる。もっとも、ケリーはカトリックなので、ユダヤ人とは言えないであろうが。いずれにしてもWASPではない。彼のユダヤ人としての血筋とカトリック教が、選挙戦にどのような影響を及ぼすか、興味深いものがある。
 ケリーはエール大学時代、「スカル・アンド・ボーンズ」という学生組織に加わって、のちにアメリカ上流社会のメンバーとなる人々と知己になった。このグループの友人の一人を通して、最初の妻ジュリア・ソーンと知り合った。(この学生組織については、あとで詳しく触れたい)

 さて、Wikipediaの情報の執筆者によれば、「ニュースマックス」が掲載した、ケリーとジェーン・フォンダが一緒に写っている写真は、デジタル的に作成された偽写真である(元の写真を撮った写真家が証言)。さらに、ジェーン・フォンダはこの反戦集会に参加していないとのことである。ケリーを攻撃するために、こうした嘘の情報がインターネットを通じてばらまかれているそうだ。
 だが、「ニュースマックス」はこの写真をまだ撤回していない。
 この写真に触れていることから、この記述がごく最近書かれたものであることがわかる。Wikipediaの情報は、全体的に見てケリーに好意的な立場で書かれている。虚実いりまじった激しい情報戦が行なわれていることはたしかで、Wikipediaの記述も情報戦の一部なのであろう。(続く)

 中澤さんにメールは naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp

ブッシュ、ケリー、どちらもメンバーだ

「スカル・アンド・ボーンズ」を覆うカーテン

2004年03月05日(金)
中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

 民主党の大統領候補者ケリーは、エール大学在学中に「スカル・アンド・ボーンズ」(Skull and Bones 頭蓋骨と肢骨。以下ではS&Bと略記)に入っていた。
 S&Bは、ドイツの学生クラブをモデルに、1832年にアメリカの名門大学エール大学に作られた秘密の学生クラブで、「毎年4年生の中から最も優秀な15人が選出されその会員となる」と言われている。ブッシュ大統領も、その父も祖父もS&Bのメンバーであった。ブッシュはどう見ても優秀な学生ではなかったから、優秀な学生だけではなく、名家や有力者の子弟も入れるようである。
 筆者は見ていないが、最近、日本のテレビでもこの秘密組織について報道された。
http://bbs1.com.nifty.com/mes/cf_wrentC_m/FTV_B001/
wr_type=C/wr_page=2/wr_sq=04011412553607067241

 筆者がこの組織の存在を最初に知ったのは、トム・ハートマンの「民主主義が破綻するとき――歴史の警告」という論説によってであった。これを読み進めていくうちに、読者は「国のリーダーを自認する男」が誰であるかを知って驚くであろう。
http://www.ribbon-project.jp/SR-shiryou/shiryou-14.htm
 秘密結社ということで、S&Bは陰謀論者の想像力をかき立ててきた。インターネット上にはそういう情報があふれている。どこまでが真実でどこからが想像なのか、判定は難しい。
 B級スリラー映画『ザ・スカルズ』はS&Bを材料にした映画である。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005S7GE/
ref=sr_aps_v_3/249-0244702-9219541
 この映画は2000年、つまりブッシュが大統領になった年に制作された。映画としては失敗作であるし、それまでS&Bについて噂されてきた以上の情報は含んでいないが、こういう映画が作られたということ自体が、ある種の変化を示している。
 2003年9月、自分自身もエール大学で別の秘密学生クラブに属していた女性ジャーナリスト、アレクサンドラ・ロビンスは、『墓の秘密』という、S&Bに関するレポートを発表した。これは、ロビンスが出版社からの依頼を受けて、メンバーへのインタビューも行なって書いた本である。ただしこの本には、メンバーの名前(インタビューされた人はすべて匿名)や、彼らが具体的にどのような政治的決定を行なってきたのかという、真に知りたい核心部分が欠けているとのことである。そのため、この本自体が、S&Bの「ダメージ・コントロール」のために、漏らしてもかまわない程度の情報を漏らしただけの本、という批判もある。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/
0316735612/qid=1077331340/sr=1-1/ref=sr_1_1/
104-0713378-4951120?v=glance&s=books

 筆者はこの本を注文したが、まだ入手できていない。読んだあとで、何らかのコメントをしたい。
 『墓の秘密』が発売されてから1ヶ月後、昨年10月にCBSが人気番組「60 Minutes」で、ロビンスと、やはりS&Bに詳しい作家ローゼンバウムにインタビューしながらS&Bについて報じた。(上述の日本の番組をこれを元にしているのであろう)
http://www.cbsnews.com/stories/2003/10/02/
60minutes/main576332.shtml

 「ジャネット・ジャクソン事件とムーブオン」でも触れたように、CBSがアメリカのエスタブリッシュメントの利益を守るテレビであることを考えると、この番組も、S&Bとはこういう組織か、とわかった気にさせて、それ以上は踏み込まなくさせるという「ダメージ・コントロール」である可能性が高い。
 ともかく、ロビンスの本やCBSの放送でわかった範囲では、この組織には、奇妙な入会の儀式があり、いったんメンバーに加わった以上、その組織については永遠に沈黙を守ることが要求され、卒業後もメンバーの間には強い結びつきがあるということである。ボーンズマン(S&Bのメンバー)は、アメリカの政治、経済、法曹、メディア界のトップの座を占め、隠然とした影響力を行使していると言われている。とくにCIAはボーンズマンの影響が大きいという。
 ボーンズマンであったブッシュ父はCIA長官であった。ブッシュ大統領は5人のボーンズマンを自分の内閣に入れている。
 Wikipediaによると、インターネット上で出回っているS&Bの名簿リストなるものは真実かどうかの確証はないという。ローゼンバウムが隠し撮りしたというS&Bの儀式のビデオも、本ものかどうかわからないという。
http://en.wikipedia.org/wiki/Skull_and_Bones

 ただし、Wikipediaの記述自体が「ダメージ・コントロール」である可能性もある。
 S&Bの周囲には何重にも厚いカーテンがかかっている。
 エール大学でブッシュの2年先輩のケリーもボーンズマンである。MSNBCテレビの「ミート・ザ・プレス」のインタビューで、彼は自分がボーンズマンであることを認めたが、それは大統領選では重要なことではない、とはぐらかしている。
http://www.prisonplanet.com/010104kerryadmits.html

 アメリカの社会学者ミルズは、アメリカ社会の政治権力は、彼が「パワー・エリート」と名づける、ごく少数者からなる集団に握られている、と述べた。ボーンズマンであるブッシュもケリーも、まさにパワー・エリートの一員である。大統領がブッシュからケリーに代われば、政治のスタイルは多少変わるかもしれないが、パワー・エリートの利益が優先されることは何ら変わらないであろう。違いは、武力中心のアメリカの単独行動か、国連や他国を巻き込んだ、一見ソフトに見える国際協調路線か、という手法である。
 結局、ブッシュ対ケリーの戦いは、パワー・エリート同士のwin-win game(どっちに転んでも勝ち)ということになる。最近、消費者運動家のラルフ・ネーダーが無所属での立候補を表明したが、これは、パワー・エリートの権力たらい回しに対する不満の現われなのであろう。もちろん、ネーダーがパワー・エリートに勝てる可能性は皆無である。

 中澤先生にメールは naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp

● 以下は、トム・ハートマンの「民主主義が破綻するとき――歴史の警告」から

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民主主義が破綻するとき――歴史の警告
トム・ハートマン


 アメリカではその70周年を知る人は少なく、マスメディアでもこれといった報道はなかった。しかし、ドイツ人は70年前の運命の日、つまり1933年2月27日のことをよくおぼえていて、全世界の市民がイラク攻撃反対の大きなうねりをつくった平和デモへの参加でその日を祝った。
 発端は、世界的な経済危機のさなか、政府が差し迫ったテロ攻撃についての報告を受け取ったことだった。ある外国の過激思想信奉者が、それまでにいくつか有名な建物への攻撃を試みてはいたが、メディアは泡沫事件と見てほとんど取り上げなかった。だが諜報機関は、その男がいつか大事件を引き起こすかもしれないと警戒していた。(歴史学者のあいだにはいまなお、諜報機関内部の謀反分子がテロリストに手を貸したのではないかという議論があるが、最近の研究はそれを否定している。)
 ところが、捜査官たちの警告は最上層部によって無視された。ひとつの理由は、政府が別なことに気をとられていたからだ。国のリーダーを自認する男が、選挙で過半数を獲得できず、国民の大半は彼が権力の座につくことを認めようとしなかった。一部の人にいわせると、その男は間が抜けていて、ものごとをシロかクロかで考えるマンガ的な人物であり、複雑かつ国際主義的な世界で一国を取り仕切る機微が理解できる頭の持ち主ではなかった。南部出身地の政治風土からくる粗野な物言いと、短絡的でおうおうにして挑発的な国家主義的言辞は、上流階級の人びとや外国の指導者たち、そして政府およびメディア内の教養あるエリートたちのひんしゅくを買った。しかも彼は若いころ、オカルト的な名称をもつ秘密結社に加わり、人間の頭骸骨と肢骨を使う怪しげな入門儀式を受けていた 。
 しかし、男はテロリストの攻撃があることを知っており(正確な時間と場所は知らなかったが)、その場合にどう行動するかをあらかじめ決めていた。国を代表する建物が炎上していることを側近から知らされたとき、彼は攻撃がテロリストによるものであると断言し、現場へ急行して記者会見を開いた。
「諸君はいま、偉大な歴史的瞬間をまのあたりにしている」男は焼け焦げた建物の前で、国中のメディアに囲まれて宣言した。その声は高まる感情に打ち震えていた。「この炎ははじまりにすぎない。まさしく神の合図である」彼は好機に乗じ、テロリズムとその思想的支援者たちとの全面戦争を布告したのだ。彼によれ
ば、そうした支援者たちは中東系で、宗教的信条から邪悪な行為におよぶのだという。
 2週間後、悪名高いテロリストとの共謀容疑をかけられた人びとの第一陣を収容するため、オラニエンベルクに最初のテロリスト監禁施設が建設された [2]。愛国主義がたちまち国中に燃え広がって、かの指導者の旗がいたるところに翻り、窓に張り出せるよう新聞にまで大刷りされた。
 テロ攻撃から4週間もたたないうちに、一躍人気上昇した指導者は、憲法で保障された言論の自由、プライバシー、人身保護義務を一時停止する立法措置を強行した。テロと戦い、テロの温床となる哲学を打ち破るというのが立法の名目であった。それにより、警察が郵便物を検閲し、電話を盗聴すること、テロ容疑者
を訴状も弁護士の接見もなしに投獄することが可能になった。テロの疑いがあれば、警察は捜査令状なしに人びとの家に忍び込むことが許された。
 愛国主義的な響きの「民族と国家の防衛のための大統領令」に対し、法律家や市民的自由を重んずる人びとから上がった異議申し立ての声を封ずるため、彼は4年間の時限条項を書き込むことに同意した。つまり、テロリストによって引き起こされた国家危機が4年以内に解消した場合、国民の自由と権利は回復し、警察組織の権限もふたたび制約されるという条件である。のちに国会議員たちは、議決の投票前に法案を熟読する暇がなかったと述べた[3]。
 反テロ法が成立するやいなや、彼の国家警察は不審な人間を逮捕し、弁護士の接見も裁判もさせないまま身柄を拘束する一大作戦に乗り出した。最初の1年だけで数百人が葬られ、それに異議を申し立てる人びとの声は主流メディアによって封じられた。メディアは、あまりにも大衆的人気の高い指導者の機嫌を損ね、近寄らせてもらえなくなることを怖れたのだ。おおやけの場で指導者に反旗を翻す市民の数は少なくなかったが、新たに権限を強化された警察の警棒や催涙ガスや牢獄の威力をたちまち思い知らされたり、指導者の演説から遠く引き離され、声を上げても聞こえない抗議エリアに囲い込まれたりすることになった。(そのかん、彼はほとんど毎日のように、公衆の面前で話をする特訓を受け、声音や身ぶりや表情の操作を学んで、みごとな雄弁家へと変身していった。)

 テロ攻撃から1か月のうちに、一人の政治顧問からの助言を受けて、彼はそれまで曖昧な意味しかもたなかったある言葉を多用することにした。国民のあいだに「人種的プライド」を煽るべく、国名を呼ぶかわりに「本土」(The Homeland)と呼びはじめたのだ。レニ・リーフェンシュタール監督による宣伝映画『意志の勝利』に記録された1934年の演説で導入部分に使われて以来、この言葉はおおやけに流布するようになった。狙いどおり、人びとの心はプライドで膨れ上がり、“われわれとやつら”という敵対感情の種が蒔かれた。人びとは自国こそが“本土”で、他の国々はただの外国だと思い込まされた。指導者は、われわれこそが“真の民”であり、国益の対象に含まれる価値があると示唆した。たとえ他人種に爆弾の雨が降り注ごうが、他国で人権が侵害されようが、それでわれわれの生活が向上するなら、さして気にかけるまでもない、と。
 こうした新しいナショナリズムに乗じ、また彼がますます軍国主義を強めることに対するフランスの不満を逆手に取って、指導者は「わが国の国益を優先しない国際機関など無意味で無用」だと主張した。そうして1933年に国際連盟から脱退し、世界規模の軍事覇権を確立するためにイギリスのアンソニー・イーデンと二国間海軍軍備協定を結ぶ。
 彼の宣伝大臣は一大キャンペーンを仕掛けて、指導者が深い宗教性をもった人間で、その動機はキリスト教に根ざしていると、国民に信じ込ませた。彼は国中にキリスト教を復活させる必要を説き、それを「新しいキリスト教」(New Christianity)と呼んだ。彼の躍進する軍隊では、すべての兵士が「Gott Mit Uns」、つまり「神はわれらとともに」と宣言したベルトの留め金をつけ、大多数がそれを熱烈に信じていた。
 テロ攻撃から1年たたないあいだに、かの指導者は国中の地方警察と国家公安機関が、テロの脅威に対処する明確な意思疎通と、総合的かつ統一的な運用を欠いていると判断した。とりわけ、テロリズムや共産主義に傾きやすい中東系住民と、厄介な知識人および自由主義者が対策課題だった。そこで彼は、本土安全保障を管轄する単一の国家機関新設を提案した。それまでばらばらだった1ダースばかりの警察・国境警備・捜査機関などを、一人のリーダーに統括させるというのである。
 彼は一番の腹心を新しい組織のトップに据え、本土防衛のための中央安全保障局と呼ばれるこの組織は、政府の中で他の主要省庁に匹敵する役割を与えられた。
 彼の広報官は、テロ攻撃以来「ラジオと新聞・雑誌は政府の意のまま」と述べた。中央安全保障局が不審な隣人の密告を大々的に奨励しはじめたため、指導者の正当性に非を唱えたり、その数奇な経歴に疑問を差しはさんだりする声は、国民の記憶から抹殺されることになった。この計画は大成功をおさめ、やがて一部の“裏切者”の名前がラジオで読み上げられるほどになった。糾弾された“裏切者”の多くは、指導者に公然と異を唱えた政敵や著名人で、いまや彼の脅迫と財界同調者の経営支配に縛られて大政翼賛化したメディアは、それらの人びとを格好の餌食にした。
 権力強化には政府内だけでは不十分と判断した彼は、産業界に手をのばして連携を図り、最大手企業の元幹部らを政府の重要ポストにつけた。こうして、本土で暗躍する中東系のテロリストと戦うと同時に、国外での戦争に備えるべく、多額の政府支出が企業に流れることになった。彼は自分に近い大企業に、全国のメディアや工業関連会社を買収するよう奨励した。とくに、不審な中東系住民の所有する事業が狙われた。産業界との結びつきは強力で、ある系列企業は国家の敵を収容するための大規模な監禁施設建設を巨額で請け負った。やがてその数はもっと増え、産業界を潤していく。
 しかし、テロ攻撃のあとしばらく平和な時期が続くと、政府の内外でふたたび異議申し立ての声が高まった。学生による活発な反対運動が起こり(のちに「白バラ会」と呼ばれる)、周辺諸国の指導者たちは彼の好戦的言辞への嫌悪感を表明するようになった。彼には何らかの囮(おとり)が必要だった。政府内で暴露
される縁故がらみの企業腐敗や、彼自身の権力基盤をめぐる不正疑惑、さらには自由主義者たちが盛んに追及した、適法手続きも弁護士や家族との接見もなく拘禁される人びとへの憂慮から、国民の目をそらす材料である。
 メディア操作を得意とする右腕とともに、彼は国民に小規模で限定的な戦争が必要だと納得させるキャンペーンに乗り出した。ちょうど隣国の一つには、不審な中東系住民が大勢住んでいた。彼の国のもっとも重要な建物に火をつけたとされるテロリストとのつながりは、ごく曖昧なものだったが、国の存立と繁栄になくてはならない資源を擁していた。彼は記者会見を開くと、その隣国の指導者に対して最後通告を突きつけ、国際社会に大きな波紋を起こした。自衛のために先制攻撃の権利をもつと主張する彼に、当初ヨーロッパ諸国は非難を浴びせた。過去においてそんな強硬論は、シーザーのローマやアレキサンダーのギリシアのごとき世界帝国をめざす国々だけが主張したものだ、と。
 数か月間、ヨーロッパ諸国との激しい議論と裏取引が続いたすえ、最後に彼がイギリスの指導者と個人的に交渉して、ある約束を取りつけた。軍事行動がはじまったあと、英国のネヴィル・チェンバレン首相はイギリス国民に向かって、かの指導者の新しい先制攻撃ドクトリンを認めれば、「われらに平和の時代」が訪れるだろうと語った。こうしてヒットラーは、戦時指導者がしばしば謳歌する圧倒的な国民の支持のもと、オーストリアを併合した。オーストリア政府は転覆され、親独の新しい指導者にすげ替えられて、ドイツ企業がオーストリアの資源を支配しはじめたのである。
 侵略を非難する人びとに対し、ヒットラーは演説でこう答えた。「一部の外国紙は、われわれがオーストリアを強奪したという。私にいわせれば、記者連中は死んでも治らぬ大ウソつきだ。私は政治闘争を通じて国民の大きな愛情を勝ち得たが、国境を越えてオーストリアへ入るや、かつて味わったこともないほどの愛が注がれるのを感じた。われわれは圧制者としてではなく、解放者として赴(おもむ)いたのだ」。
 彼の政策に異議を唱える人びとに対処すべく、政治的手腕に長けた顧問たちの助言を受けて、彼と配下の報道関係者は、彼と彼の政策を愛国主義および国家そのものと一体化させるようなキャンペーンに乗り出した。テロリストやテロ支援者たちに、国を分裂させたり、国家意志をくじいたりできると思わせないためには、国としての統一が不可欠だというのが彼らの持論だった。戦時にあっては「一つの民族、一つの国家、一人の総統」しかありえないという理由で、彼らは国策の批判者を国家そのものに攻撃をしかける人間だと糾弾する、国ぐるみの一大報道キャンペーンを張ったのである。彼に異議を唱える人間は「反ドイツ的」ないし「良きドイツ人ではない」とのレッテルを貼られ、国家の英雄たる兵士たちを支持する愛国心がないために、国家の敵を利する者だと白い目を向けられた。それは反対意見を封じ、賃金労働者(兵士の大半はこの階層の出身)と、彼の政策に批判的な“知識人や自由主義者”とを反目させる、彼一流の効果的手法であった。
 にもかかわらず、オーストリアを併合する“小さな戦争”が手際のいい成功に終わり、平和が回復すると、「本土」にふたたび異議申し立ての声が上がった。ほとんど毎日のように、共産主義テロリスト細胞の危険をニュースで流しても、国民を扇動し、反対意見を完全に封じ込めるには十分ではなかった。抵抗者の失踪、自由主義者やユダヤ人や組合指導者への暴力、産業界において帝国の富を産出しつつも、中産階級の生活を脅かす慢性的な縁故資本主義の弊害などが原因で高まる国内の不満から国民の目をそらすには、全面戦争が必要だった。
 それからきっかり1年後、ヒットラーはチェコスロバキアに侵攻する。彼の国はいまや全面戦争に突入し、国家安全保障の名のもと、国内の反対意見はすっかり封じられた。民主主義をめざすドイツ初の実験はそこで終焉を迎えたのだ。
 歴史の回顧を結ぶにあたり、私たちが記憶にとどめるべきポイントがいくつかある。
 2003年2月27日は、オランダ人テロリスト、マリヌス・ヴァン・デア・ルッベによる帝国国会議事堂(ライヒスターク)の爆弾放火70周年であった。そのテロ行為が、ヒットラーを一気に正当な国家指導者へとのし上げ、ドイツ(ワイマール)憲法の改廃をもたらした。ドイツ人の血をほとんど一滴も流さず素早くオーストリア併合を達成するころには、彼はドイツ史上もっとも人気の高い大衆指導者となっていた。その年、世界的な賞賛を浴びた彼は、タイム誌の「マン・オブ・ザ・イヤー」に輝く。
 おおかたのアメリカ人にとって、彼が本土安全保障のために設置した機関は、その名称 Reichssicherheitshauptamt(帝国防衛省)と Schutzstaffel(親衛隊)から、悪名高い後者の頭文字「SS」だけで頭に刻まれている。
 もうひとつ私たちの記憶にあるのは、ドイツ人が「雷撃戦」(Blitskrieg)と呼ばれる激烈な戦闘形式を編み出したことだ。それは一般市民に凄まじい犠牲をもたらすいっぽうで、国家指導層にとってはきわめて満足度の高い「衝撃と畏怖」の効果を生み出した。アメリカ防衛大学出版局が1996年に刊行した『衝撃と畏怖』の執筆陣は、そう記している[4]。
 当時を振り返り、アメリカン・ヘリテージ・ディクショナリー(1983年版)は、ヒットラーがドイツ最大級の企業群と提携し、戦争を権力維持に利用することによって、ドイツ民主主義が変質した結果生まれた政府の形態を次のように定義している。「ファシズム:(名詞)極右独裁の統治システム。国家と企業上層部の癒着に、好戦的ナショナリズムが結びついて生まれるのが典型」経済的・政治的危機に直面するいま、私たちは世界大恐慌の被害がドイツにもアメリカにも等しく襲いかかったことを忘れてはなるまい。けれども、1930年代を通じてヒットラーとルーズベルトは、それぞれの国力と繁栄を回復させるために、まったく異なる道を選んだ。
 ドイツの選択は、政府が企業に肩入れし、社会の最富裕層に恩恵を与え、公共部門の大半を民営化し、反対意見を封じ、憲法で保障された諸権利を人びとから奪い、戦争の継続と拡大によって繁栄の幻想を生み出すことだった。アメリカは最低賃金法を可決して中産階級を力づけ、企業の権限を抑えるために独占禁止法を実施し、企業と最富裕層への増税を行ない、社会保障制度を創設し、国家社会基盤建設と芸術振興と森林再生の計画を通じて最終雇用を確保した。
 合州国憲法がまだ健在である限りにおいて、今回の選択も私たちしだいだろう。


訳注
[1] ヒットラーは若いころからオカルティズムに興味をもち、さまざまな秘教組織にかかわったとされる。その中にはいわゆる悪魔崇拝の結社もあった。ただし、「頭蓋骨と肢骨」の儀式を行なったのがどんなグループだったか訳者には不詳。いっぽうブッシュ大統領は、エール大学在学中に文字どおり「Skull & Bones」と呼ばれる学生秘密結社に入団した。19世紀に遡るこの秘密結社は、父ブッシュ大統領も含む会員を通じ、米国社会上層部に大きな影響力をおよぼしてきた。やはりこの結社に属していたブッシュ現大統領の祖父プレスコットは、ナチスに軍需物資を流す事業で財をなしたといわれる。

[2] 最初に建設された強制収容所のひとつ。

[3] 9・11直後にアメリカ連邦議会で成立し、同種の内容で各種の基本的人権を制限する「愛国者法」(USA Patriot Act)についても、政府からの法案提出がぎりぎりまで引き延ばされたために、国会議員から同様の不満が出た。

[4] ハイテク兵器を駆使するイラク攻撃緒戦の計画は、この著作にもとづいていた。

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トム・ハートマン Thom Hartmann
1980年代のドイツで暮らし、働いた経験をもつアメリカ人。著書に Unequal Protection、The Last Hours of Ancient Sunlight ほか多数。本稿の著作権は筆者に属するが、このクレジットを添えれば紙媒体・電子メール・ウェブサイトなどへの転送・転載は自由。

When Democracy Failed: The Warnings of History
by Thom Hartmann
http://www.commondreams.org/views03/0316-08.htm

(翻訳:星川 淳/TUP)

http://www.ribbon-project.jp/SR-shiryou/shiryou-14.htm
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英国の諜報機関

秘密情報庁
 
Secret Intelligence Service (SIS)
Military Intelligence - 6 (MI-6)


 対外諜報に従事する英国の主要諜報機関である。王立機関として、英諜報部は、既に大英帝国の形成期間に形成が開始された。その創設は、何よりも、欧州の最も重要な貿易かつ海洋大国の国家植民地対外政策の需要によりもたらされた。1909年3月、英国首相は、ドイツ諜報部からもたらされる脅威に特別の注意を払って、国家特務機関を再編することを帝国国防委員会に勧告した。首相の勧告に基づき、帝国国防委員会外国部附属秘密勤務局創設に関する通達が準備され、その設立日は、10月1日となった。
 1909年、新官庁の直接の創設者は、ベルノン・ケル大尉と伝説的な片足のマンスフィールド・カミング海軍大尉だった。後者は、秘密勤務局外国課長にもなった。こうして、当時、近代的な西側諜報機関の発祥の地と呼ばれた。カミングに敬意を表して、続く英諜報部の全長官は、書簡及び会議において、「С」(Cummingの頭文字から)と略して呼ばれ始めた。
 庁は、長官が指揮し、現在、リチャード・ディアラフが長官である。現SIS長官リチャード・ビリング・ディアラフは、1945年1月23日に生まれ、ケンブリッジ大学卒業後、アフリカ(ケニア)、欧州及び米国(駐ワシントンCIA附属連絡幹部)、並びに作戦局長のポストにおいて、33年間、諜報に従事した。
 カバーのために、SISは、外務省の機構に編入された。SISは、国外に87支局、ロンドンのヴォックスホール・ブリッジ-ロードに本部庁舎を有する。 SISは、同時に常任の外務次官である長官が指揮する。このようにして、形式上、SISは、英外務省の監督下にあるが、これと並行して、首相への直接の出口を有し、しばしば、その指示により又は独自に活動している。
 SISの機構には、5局が存在する。その中には、以下のものが含まれる。
 行政人事局は、行政管理問題、並びに要員の選抜及び配置問題に従事している。任務付与・情報製品準備局は、外務省及び国防省から任務を受領し、入手した諜報情報を処理及び分析し、外向けの諜報文書を準備及び販売する。地域監督局は、いくつかの地域・地理作戦課から成る。対外防諜・保安局は、外国国家特務機関の工作を実施し、英諜報部の業務の安全を保障する。特殊情報局は、作戦業務実施の近代的な作戦技術手段を諜報部署に補給する。
 その外、国際関係問題顧問部会、米国その他国の特務機関との連絡部会が存在する。
 SISは、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの諜報部と密接な関係を有している。これらは、インテリジェンス・サービスの援助の下で創設され、その多くの職員は、英国で訓練を受けた。人員数は、国家秘密である。

■人事

 全歴史に渡って、英諜報部での業務は、権威あるものと考えられ、貴族と創造的なインテリ出身者を惹き付けた。通常、諜報要員は、外務省、軍、SAS空挺兵、警察の要員、並びに大学卒業生(主として、ケンブリッジ及びオックスフォード)から募集されている。SIS正職員は、「法律と人権を優雅に侵害する紳士」と、既に世紀初頭に諜報に従事していた伝説的なトマス・ローレンス又はシドニー・レイリーの精神の冒険家から成るものと考えられている。これは、「独立した作戦要員」という希なカテゴリーに属するプロだった。90年代初め、この秘密に侵入できたジャーナリストは、約3千人の数字を挙げ、その内、ほぼ 1,200人が中央で働いている。1994年3月、諜報部の定員には、2,303人の職員が存在した。
 SIS本部庁舎は、ロンドンの最中心部、ランベト地区、ヴォックスホール・ブリッジ(Vauxhall Cross)の側に位置し、正面には、「環境庁」の看板がある。これは、多段式ピラミッドに似た20階建ての施設で、一般名称は、「センチュリー・ハウス」である。以前、英諜報部の本部庁舎は、地下鉄の「セント・ジェイムス・パーク」駅側のブロードウェイ-ビルディングスに位置した。

■SIS長官(1909~1999年)

期間 氏名
1909~1923年 マンスフィースド・カミング
1923~1939年 ヒュー・シンクラー
1939~1952年 スチュアート・メンジス
1953~1956年 ジョン・シンクラー
1956~1968年 ディック・ホワイト
1968~1973年 ジョン・レニー
1973~1978年 モリス・オルドフィルド
1979~1982年 アーサー・フランクス
1982~1985年 コリン・フィガース
1985~1989年 クリヅトファー・ケラー
1989~1994年 コリン・マッコール
1994~1999年 デビッド・スペディング
1999~ リチャード・ディアラフ

 1994年現在、年間予算は、約1億5千万ポンド・スターリングに達した。MI-6長官は、麻薬の非合法生産及び拡散対策における有償サービスの拒否に関して、一連の東南アジア諸国政府と合意に達した。1995年、諜報部の予算は、1千万ポンド・スターリング削減された。1997/98会計年度、MI- 6の予算は、公式には、1億4千万ポンド・スターリング水準に留まり続けた。

■法的基盤

 事実上、90年代中盤まで、英諜報部は、国家的地位を有さず、事実上、議会の無監督下で活動していた。MI-6の会計は、外務省を通して実施されている。
 情報機関法は、1994年に英国議会により採択された。ここで初めて、「英国国外における外国人の活動及び意図に関する情報の獲得及び配布、並びに国家安全保障のための特殊作戦の実施」と、諜報活動の定義が与えられた。
 この文書は、英国の国家安全と経済繁栄の擁護、並びに重大な刑事事件の予防及び摘発に向けられる場合、独自の作戦を実施する特務機関のそれでなくても事実上存在した権限を承認した。その外、法律は、英国自体では犯罪と評価される場合ですら、その機能の遂行のために国外で実行される行動に対して、特務機関職員の責任を免除した。その管轄下に特務機関が存在する相には、私生活への干渉、盗聴並びに住居及び業務用の建物への非公然侵入と関連した作戦を自己裁量で許可する権限が賦与された。
 情報機関法により、議会情報・安全保障委員会の設置が規定された。当機関には、予算資金の特務機関による支出、国家の国内外の安全の保障に関する主要任務の遂行領域における統制及び政策に対する監督を実施する権利が賦与された。
 委員会の構成員は、与野党の議員9人から編成される。この際、委員会委員は、議員により互選されることはなく、首相により任命される。この機関の業務は、主として政府合同情報委員会の定員から成る内閣官房職員が保障しなければならない。週間会議は、首相官房の特別に割り当てられた部屋で行われる。
 法律には、委員会の権限及び解決すべき問題層に関する明確な指示が含まれなかった。年次報告書、並びに自己裁量でその他の報告書を議会ではなく、首相に提出する義務を有することだけが指摘された。
 法律により、その業務に必要な情報の委員会への提供に係わる3つの規定が規定された。これらの規定に従い、国家特務機関指導者は、「相により承認された合意に従い」必要な情報を提供し、相の権限に基づきその提供を拒否し(この際、国家安全の基準により指導されなければならない。)、照会された情報がその秘密性及び特別な重要性のために公開できないことを委員会に通知することができる。この際、特別重要秘密情報に分類されるのは、情報源及び作戦方法を暴露し得るか又は具体的な作戦(過去、現在又は未来)に係わるような内容を含むか若しくはその公開を望まない第三国に提供された情報である。
 しかしながら、実践において、この委員会は、英国情報共同体の組織における業務状態に深くに侵入し、関連問題に関して特務機関指導者を聴取するいかなる権限も獲得しなかった。委員会の第1回会議において、首相は、その委員が特務機関の作戦活動を何らかの方法で統制することを試みない希望を表明した。このようにして、事実上、委員会は、英国首相附属の諮問機関に変わった。

これが世界最強の諜報機関だ

秘密情報庁モサド

モサド・レタフキジム・メユハジム

 モサドは、国外での諜報情報の収集に従事し、政治性行為を実施し、テロ対策を行う。情報収集に関する任務の遂行の際、モサドの主要努力は、アラブ諸国、近東に関するアラブ人の民族問題がこの地域におけるイスラエルの利益と衝突する全世界、特に西欧及び合衆国のその公式代表及び施設に対するエージェント作戦の実施に集中している。
 モサドは、アラブ各国軍、配置、装備、士気、指導部に関する情報、並びにアラブ諸国の国内情勢、アラブ諸国指導者間の関係、アラブ世界における他国全ての外交活動に関する全情報を収集する。モサドは、アラブ諸国の商業活動、特に西側兵器の納入領域を追跡し、アラブ人による軍事、経済及び政治専門家の徴募を防止しようとしている。この際、主目的は、エージェントとしてその種の人物を徴募し、徴募失敗の場合、アラブ人に援助を提供することが合理的ではないことを納得させるか、その活動のデリケートな面を伝達することである。モサドは、アラブ人中に相互不信を促進し、並びに西側のアラブ世界への共感を失わせる騒擾を引き起こすために、教唆活動も実施する義務を有する。
 テロ対策領域において、イスラエル人は、時折、特に近東及び西欧諸国において、アラブ人テロリストに対する戦闘作戦を行っている。特に、レバノンがキリスト教徒、ドルーズ教徒及びムスリムから成る混成住民を有している事実は、同国領土を諜報作戦実施に魅力的なものにしている。イスラエル人は、レバノンに秘密口座を有し、同国で金融取引を実施している。彼らはまた、パレスチナ人テロリストのリーダー、パレスチナ組織の兵員及び難民キャンプに対して一連の襲撃を行った。
 アラブに対する作戦の外、モサドは、イスラエル国家、シオニズム及びユダヤ人全体の利益を保障するために、東西を問わず、政治、経済及び科学技術諜報情報の収集に従事している。主な努力は、その政治決定がイスラエル及びシオニストの目的に結果を有し得る米ソ、並びに国連に関する情報の入手に集中している。
 イスラエル諜報部がソ連及び東欧諸国において自らに課した任務には、イスラエルに対するこれらの国の政府の政策、ユダヤ人移民の状態に関する情報の収集、ソビエト連邦及び東欧諸国の官僚組織で戦略的に重要なポストを占め、思想又は打算的理由からシオニストを助けることに同意した者の徴募、並びにソビエト連邦及び東欧諸国によりイスラエル又はアラブ諸国の若干の政治集団に提供される援助のレベル及び質に関する情報の入手が属する。
 非アラブ諸国におけるモサドの支局は、通常、大使館及び領事館のカバーの下で行動する。モサドは、米国、欧州の首都の大部分、トルコ及びイランに支局を有している。南米、アフリカ及び極東では、モサドの戦略センターが活動している。支局の作戦は、これらの国の公式特務機関と連絡の維持及び情報交換から、アラブ人テロリストに対する戦闘行動の実施まで、様々な性格を帯びる。作戦実施の際、モサド将校と臨時のエージェントが行動する。1973年7月、16人から成るイスラエル兵のグループが、ノルウェーのリレハンメル市において、モロッコ出身のアラブ人を暗殺した。ノルウェー当局により、グループの6人が逮捕され、グループの6人が起訴され、残りの者は逃走した。裁判中、この作戦のために特別に徴募され、モサドがその地域センターを有するパリで主要訓練を受けた後、アラブ人テロリストの除去に関する特殊任務を帯びてノルウェーに到着したモサドのイスラエル人将校と欧州ユダヤ人からグループが構成されていたことが究明された。
 情報・特殊任務機関(モサド・レ-タフキジム・メ-ユハジム)の本部庁舎は、テルアビブのサウル王通りに位置する。

■歴史

 モサドは、40年代末、大小2人のイセルが創設した。大イセル・ベエリは、興奮のあまりヨルダンでスパイをしていた将校の射殺を命令したとき、裁判にかけられた。彼の仕事は、なくならず、リガからの帰還までイゼイ・ガリペリンだった小イセル・ハレルに移った。部下達は、彼がソ連に残っていれば、きっと KGBを指揮したはずだとジョークを言った。
 ハレルは、生まれつきのスパイだった。彼の冷たい青い目の視線は、対談者を缶詰のように切り開いた(今日、ロシアで、そのような視線をを持っているのは、ウラジーミル・プーチンだけである。)。ハレルの名前は、1961年の彼の退任まで、イスラエルでは誰も知らなかった。
 ハレルからは、病的な秘密主義、節約の習慣及び現代技術への不信等、モサドの多くの伝統が生まれた。ちなみに、家では、イセル雷帝は、全てにおいて妻に従っており、隣人達は、美人のリフカの小さく、静かな夫に同情していた。彼の匿名性は、妻が中佐の肩章(イスラエルにとって、これは非常に多く、イスラエル軍で最高の階級である中将は、通常、参謀総長が帯びる。)の付いた軍服を干し掛けたとき、偶然暴露された。
 イセルは、滅多に軍服を着なかったが、私服とサングラスを好んだ。「特殊任務」の遂行を監視しつつ、世界中を旅するのに好都合だった。モサドには、当時、アラブ人対策と逃亡したナチス犯罪者の捜索の2つの任務があった。
 モサドの最も効果的な作戦と考えられているのは、リカルド・クレメントの名前でアルゼンチンで暮らしていた迫害者No.1、アドルフ・エイヒマンの誘拐である。作戦のために、親戚全員がナチスの手により殺された絶対に信頼できる12人が選抜された。1960年5月11日、アイヒマンは、自宅の側で直接誘拐され、麻酔をかがされ、空港に運び込まれ、事故に遭って、包帯を巻かれたイスラエル外交官として飛行機に搭乗させられた。イスラエルでは死刑は適用されないが、アイヒマンに対しては、例外が行われた。

■作戦実施方法

 長年に渡って、モサドは、イスラエルにとって意義を有する各国の高官及び政府要人と信頼関係を維持している。ほぼ世界全国のユダヤ人共同体には、イスラエル諜報部の努力を積極的に支援するシオニストとイスラエル・シンパが存在する。そのような関係は、綿密に発達させられ、情報入手、偽情報の流布、プロパガンダその他の目的のためのルートとなっている。カバーとして諜報部が利用する公式な施設は、イスラエルの貿易使節団、国営観光組織、航空会社「エル・アル」、国営海上航行会社ツィム(その株式は、アメリカの「イスラエル・コーポレーション」社と欧州代理店に属する。)である。イスラエルの建設会社、産業グループ及び国際貿易組織も、諜報部に対して非公式なカバーを保障する。
 イスラエル諜報部は、国外の各種ユダヤ人共同体及び組織に著しく依存しており、エージェントの徴募及び情報入手のために利用している。全ユダヤ人がイスラエルに属し、イスラエルに戻らなければならないということが力説されるシオニズムの攻撃的な思想は、諜報作戦参加への同意と引き換えに譲歩される。
 通常、モサドは、ユダヤ人からエージェントを選抜する。それにも拘らず、この際、一方では、シオニズム国家イスラエルへの忠誠、他方では、自分の祖国に対する忠誠という二重忠誠によりもたらされる暴露の危険が常に存在している。非ユダヤ人の徴募は、比較的稀にしか行われない。イスラエル人は、不誠実又は変節が担当作戦実施の挫折の脅威にさらすか、国家の安全を脅かす場合、自分の諜報員にも、エージェントにも、全く無慈悲になり得る。欧州では、イスラエル諜報部のために働いていたユダヤ人が、著しい金額の援助の下でエジプト人に買収されたいくつかの事例が起こった。これらのユダヤ人は、イスラエルに誘引されるか又は誘拐され、その後、秘密裁判により禁固10年から14年までを言い渡された。

■「サイアニム」

 イスラエル諜報部の支援者の国際ネットワークである。ヘブライ語で、「サイアン」は、「補佐」を意味する。サイアンには、純血なユダヤ人しかなれない。市民権を有する国に対する忠誠心を保持しつつ、サイアンは、同時に、イスラエル国への共感も感じている。ロンドンだけで、約2千人のサイアンを数え、英全土には更に1千人が、米国には10倍以上が分散している。彼らは、決して作戦に直接参加せず、何らかのサービスを提供するだけである。サイアンは、援助する作戦が生まれ育った国に向けられたものではないと常に信じているはずである。
 ロンドンに、パレスチナの地下組織に対して行動を実施する任務を帯びたモサドの作戦グループが来たと仮定する。グループには、自動車が必要である。その時、自動車販売に従事するサイアンに、本物のナンバープレートとキーの付いた支援自動車を一定の場所に残すように要請される。作戦終了後、自動車は、所有者に返却される。サイアンは、何のために彼の自動車が必要だったのか決して知らず、彼の明細書には、車が潜在的占有者に一時貸し出されたと書かれるだろう。
アメリカの歴史
フランスは1777年12月、アメリカの独立を認め、翌78年2月には米仏軍事同盟を結んだ。アメリカはそれ以前からフランスに武器、軍需品を求めていた。「フィガロの結婚」や「セヴィリアの理髪師」を書いて有名な劇作家ボーマルシェはヴァージニアのアーサー=リーと軍需品会社を作って武器をアメリカに供給した。
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カリフォルニアの総督メーンンも六月中旬にはコロマを視察し、毎日三万~五万ドルに及ぶ金が産出されるとワシントンに報告している。付近でもあちこちで金が発見され、各種の報告が連邦政府に送られた。大統領ポークは、十二月の議会に対する教書の中で、メーソンの驚くべき報告にふれて金の発見をのべた。これが全国の新聞に発表された結果、四九年の一月十八日までに六一隻の船が平均五〇大の乗客をのせて大西洋岸北東部の措から出港した。南部のチャールストンやニュ-オーリンズからもかなりの船が出ている。これらの船客は南米の南端を回るか、中米の地峡を歩いて太
平洋岸に出てそこからサンフランシスコまで別の船に乗るかした。ヨーロッパ諸国からも多くの人がこのニュースをきいてカリフォルニアに集まった。ロンドンには一二五万ポンドの資本で五
つのカリフォルニア通商・鉱山会社がつくられ、ヨーロッパ各地カリフォルニア行きの船客を運んだ。アジア人の中では中国人がもっとも多く、当時の新聞四九年二月一日の中国人の数を五四人、同年末には七九一人、五〇年末には四〇〇〇人以上としている。日本人は鎖国の中で知るよしもなかった。
 アメリカ大陸を横断したり、メキシコから移動してくる人がもっとも多かったが、陸路は旅費は安いが、各種の危険がともない、途中で生命をおとすものも少なくなかった。とにかく四九年に、八万以上の人が金を目指して集まってきた。
一八五〇年の国勢調査は、インディアンを除いてカリフォルニアの人口を九万二五九七人としているが、これにはサンフランシスコほか二郡の報告が事故のためはいっていないので、一〇万
以上になっていることは明らかである。ゴールドラッシュで、四九年にカリフォルニアに来た人たちを「四九年度の人たち」とよんでいる。
 砂金はつるはしとシャベルと鉄鍋さえあれば、いわゆる「椀かけ法」という方法で素人でも採集できた。もちろん極微細な粉末は流してしまうこともあるが、砂金といっても形や大きさはさ
まざまで、稀にはかなり大きな金塊さえ発見することもあつた。
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